2001年1月31日(水)
なんということでしょう、学校に行き損ねてしまいました。理由は寝坊です。やはり寝たのがAM8時なのはどうもいけませんね。明日は生活直すために少なくとも夜まで寝ないでおきましょう。というか今日で1月も終わりだよ。早い、ヤバイ、どないする。
ところで、サブマシン(PC-9821V7)で久々にインターネットしてみた。WIN95マシンなので、OSが軽い、これはいい、しかもIE3.02で実験。自分のページもちょっと悲惨だったが、他のページはもっと惨い。惨すぎて惨すぎて、笑うしかない。しかしMSのサイトが開けないとは、MSは97年まで自社のブラウザを抹殺しているようだ、これも酷い。ネスケ4.04でも実験してみた。幸い挙動は4.73とかとほとんど同じようだ。既に確認済のスタイルシートの背景がちと想定外になるだけである。恐らく256色コードに対応してないのかも、まぁ、似た16色対応になるので大きな問題はない、と思う。久々にネスケ6も使ってみた。WIN95だと、ネスケ6が軽い、サブはK6-2 330MHzでメモリ48MBという構成なのだが、前にメインで病んだWIN98で実験したときとは別物のように軽いのである。落ちることもなかった。というかWIN95自体が軽すぎる、さくさく動く。いらない機能がない分、安定して軽いのだ。まぁ、サブマシンに変なアプリも入れてないのが大きいのかもしれないが。さすがWIN95、Pentium120MHzで昔十分と思っていたが,、さすがそれだけのことはある。ハードディスクが8GB以下で、IE4以上がなくていい人にはお勧めのOSだ。なお、ネスケ6の挙動は当たり前といえば、当たり前だが、Mozilla0.7と同じであった。もっともネスケ6よりMozilla0.7の方がより新しい技術なのだが。おっと、WIN95の話に戻るが、残念ながらサポート打ち切り、販売も既に打ちきっている。MSは5年しかサポートしないらしい、つまりWIN98の運命も来年までなのだろうか。まぁ、どちらにしてもMS時代は下火だ。パソコンバンドル分は好調だが、バージョンアップ乗り換えユーザが米経済の翳りとかもあって、まったく駄目なのだ。果たして今年発売される新WINの運命やいかに、である。MSといえば、IE6も気になる。極秘のベータ版(WIN2000専用)が流出して昨日、米の某サイトダウンロード可能になっていたが、噂によると、新OS専用になるとかいう話もある。こうなると、IE6の動きがIE4以降と互換性が稀薄だったら、自分で確認が出来ない分、サイト作りがまた困難になる。これも気になる話であろう。まぁ、私的にはそっちの方がいいかもしれない、プラットフォームを選ばないMozilla系ブラウザの普及が伸びそうだからだ。IEにも一応WIN版でない、Mac版とUNIX版もあるようだが、名前こそ同じだけでWIN版とは作りが別物なのだ。(Mozilla(ネスケの愛称)系はほぼ同じ)それとそういえば、MSはIEの独占を築いたことから、ブラウザを3つにわけるらしい、所謂初心者用と、中級用(但しIE6はやや初心用に近づけるらしい。)、上級者用である。それはいいことだと思うし、OS統合を止めるきっかけにもなりそうだから歓迎も出来るが、ソース自体の互換性は90%確保してもらいたい、つまり同じ開発部隊に作らせてもらいたいもんだ。なんかどうでもいい話が長くなってしまった。ここら辺でそろそろ僕は失礼させて戴こう。
2001年1月30日(火)
10時まで学校在住。自己分析が進む。しかしK社のエントリーシートの〆切が近い。急いで書かないとね。
2001年1月29日(月)
学校に行くも、恐ろしいまでの腹痛で最悪だった。昼飯の食い過ぎが原因だと思う。M社の学内セミナーも腹痛の中参加したが、やはりあまり聴けてない。
そんなわけだからまともに計画を進められなかった上に夜まで居残り計画も断念し、帰って正露丸飲んで寝るも、ほとんど直らない。今日は悪魔の昼飯一食なのである。困ったものです、この腹痛には。
2001年1月27日(土)
昼に起きてしまい、計画の履行が不完全に終わってしまった。いやはや。
余談だが、最近妙な英文スパムが大量に、とは言い過ぎだが、一日三通程度来る。内容も日本のと似たようなもので、短期間で大金が稼げます、とかいう低レベルなものである。最近、日本でもメールで広がったネズミ講が警察に摘発されるなどあったのは記憶に新しいが、低俗な罠にかかった人間は、リストがある限り毎日の畏怖の連続であるのだろう。因果応報。そもそも信用してしまうなんて愚かすぎるではないか。あと、アダルトメールも大概迷惑すぎるくらい来ている、もちろんゴミ箱行き直行である第一候補であろう。ちなみに幸いなのだろう、ウイルスは一回も送られてはいない。
2001年1月24日(水)
本日で大学授業はとりあえず終了。居残りも八時半くらいで切り上げました。
あと明日のこともついでに書いておきます。明日は午前中最後の就活ガイダンス。多分あまり意味ないでしょうね。夕方以降は京都で泊まり込み追い出されコンパですね。ということで、ネット不在です。
余談ですが、授業中ボーと半目状態を維持していると、ふと、鮎哲風の鉄道トリック、しかも現在オンリーを閃きました。今年こそ、暇になれば、ですが、賞に送れそうな本格ミステリを完成させたいものです。
2001年1月22日(月)
例のごとく十時過ぎの帰宅。全くもはや日課であろう。二月になると、私大入試のために立ち入りが禁じられるのが残念なほどである。しかし実際は一時間は爆睡し、五十分ほど新青年を読んでしまうものだから、どうも時間が不足している。今月中に自己分析を一通り完遂したいのに全然なのである。我ながら困ったもの。
生きている目的を考えよ!と言われてもどう答えるべきか、どうも解答に詰まってしまう、低俗な私は未来技術を見たい、だとか、趣味の追求、とか、それも含めるが私でなくては出来ないことを成し遂げる義務がある、(それがあるのか?)、などとメモしておいたが、どうも高尚な理由が思い浮かばないのだから、致し方あるまい。宇宙には未だ憧れるし、SF的世界の実現も体験したい、あと何十回はW杯を見たい、一冊でも多く本格探偵小説を見たい、と言うのもある。光速を越えて時間の流れをゆっくりにする技術なども魅力的ではないか。とはいえ、それが生命維持の目的にしては薄弱であるのは明らかだし、私の存在感の薄弱さを表象しているとも言えるかもしれない。少しまともなことを言えば、夢の実現までは絶対に生きながらえる意思があるのである。夢の内容はあるにはあるが、さすがにここでは伏せておこう。
それと就職する目的という項目もある。常識的に金銭を得て独立して生きるため、としたが、裏があり、稚拙ながら生きる目的に繋がるものである。つまりあらゆる趣味を満たして精神的充足感を得るためなのであって、物理的に人はパンのみに生きるにあらず、ではないことに注意していただきたい。どうも私という人間は根っからの趣味人間なのだろう。言うなれば、私に特化すると、人は趣味のみに生きるにあらず、と忠告を受けかねないのである。
と、まぁ、本日の日記も人様に見せられるような内容ではない気もするが、どうせ知人でこの日記の存在を知ってる人は多分ごく少数であろう。どうも私の周りではアナログ人間が多い。私もなのだが文系的人間の知り合い率が極端に高いのも原因なのだろうか。
とにかくも時間が減る一方だから、幕を閉じるとしよう。
2001年1月20日(土)
雨が久々に降っていたので、今日は家から一歩も出ず、プリンタ購入やセビロ購入などもしたいところだったが、また後回しにした。久々に完全休養し、ずいぶんリフレッシュされたっぽい。
2001年1月19日(金)
今日は未明からクールのサーバーが落ちていたため、かなり腹が立っている。で、普通の日記としても特に追文することもない。例のごとく帰宅は10時15分なのである。
2001年1月18日(木)
今日は短文で失礼しよう。従来通り、夜の十時十五分帰宅。テスト対策の法学の勉強、シスアド(情報処理)の勉強、自己分析、些か長すぎるが息抜き新青年読みと大忙しである。帰ったら帰ったで、インターネットで就職情報探さなあかんし。実際足で活動し出すと、さぞ恐ろしく多忙になることだろうなぁ。
2001年1月17日(水)
今日は久々、というよりも今世紀の学校始まって以来の平日で初めて十時以前に帰宅した。五限終了後の六時に学校を出たのである。というのにも理由があって、シャンプーが切れたのである。だから私は仕方なく、店が開いている時間に帰ったのだ、いやはや単純な理由なのだ。そういえば、シャンプーというもの、実は自分で買ったのは初めてだったかもしれない、大学生活三年間は実家から最初送ってもらった大量のストックで保っていたのであるからだ。思ったより高いものだとわかった。私はコスト面と環境問題(捨てるのが面倒だからね、というのが実体だが・・・)から詰替用にした。実際の話、二割以上安いので絶対にお得であろう。大体一分で詰め替えも完了するのだ。ちなみに私は皿の洗剤も詰替用である。
そういえば、パソコン(AT−互換機)が家電扱いになり捨てると金が取られるようにそのうちなると思うが、これも詰め替えで回避することが可能である。どうしても捨てたければ、マザーボードや不要部品だけ捨てればいいのだ。いくら主要部品でも、それでは家電とは呼べず、ジャンクであろうから回避できるはずである。で、残ったケースはどうするかというと、それも中身が殻だとわかるように捨てれば、それはただの物体以外の何物でもなくなるし、何よりケースは捨てずに、そこに新マザーを入れてやれば、最新マシンになるのだから捨てる必要もないだろう。せいぜいが電源の交換で済む。古いマザーも捨てなくてもいいが、古すぎるとか、どうせ二台はいらない場合は、新マザーとの換装ということになって、お役御免になるのだから、AT互換機のマザーなら捨てられても仕方がないだろうか、もっとも私ならPC関連はハード的仁壊れない限り、(ハード的に壊れても持ってるが)大量流布しているAT互換機マザーでも捨てないだろうが。当たり前だが、壊れていないPC-9800や、PC-x86,FM-TOWNS、X68000等古き良き国産アーキテクチャーなマザーは捨てるべからずであるし、前提的にそのケースにAT互換機マザーを入れることは困難なので、これらは本体を大切に持っておきたいところだろう。
話はいよいよ、全然変わるが、ATー互換機用の国産OS、超漢字3が登場するそうだ、私は未だにと言われそうなことに、PC-9821なので、残念ながら試せないが、AT機を入手したら、試してみたいものだ。あるいはぜひPC-98アーキテクチャー版も開発してもらって、ハードOSともに純国産マシン体制にできることを祈りたいところだろう。
またいきなり突然だが、この指とまれ(通称ゆびとま)、というWEB同窓会のサイトがある。私はここに登録して一年半以上になると思うが、色々懐かしの同級生と交流できるチャンスがある貴重なサイトだ。私は高校時代のクラブの先輩に謝ることができた。もう一年半前である。先程、久々にこのサイトを見てみたので、かなり日記に関係ないけれども、ついでに触れておいたわけである。
さぁ、風呂入って詰め替えメリット使って、今日も睡眠に入るとしよう。実はもう既に次の日の三時過ぎなのだ・・・・・・。それにしても本日も滅裂日記であった。しかし今月の日記は六つ目であるのに、長さだけはいつもより長めなので、ファイルサイズが前の十一・十二月分に既に肉薄している恐るべくもない事実(笑)。
2001年1月15日(月)
どうも非常に寒い日が続いている。しかし私は風邪を引かない。地元に帰ると、空気の違いからか、高い確率で風邪を引いてしまう私であるが、西宮のアパート内で致命的な風邪を引いたことは皆無なのである。それはせいぜいなんとか動きの取れるレベルの38℃台前半であるし、それも長期に無茶をして、体に極度の負荷をかけたときだけであるというように、なぜか、不健康な生活、ことにビタミン欠乏症だと思うのに、案外丈夫なのだ。不思議なものだ。ちなみに私は昔から健康体で、風邪で学校を休むより仮病で休む時の方が多かったような・・・、いや、それは伏せておこう。でもこれだけ、小学校低学年時に仮病で病院に連れて行かれたときのこと、そこの医者に風邪と診断された。笑える悪童の記憶である。
で、今日の日記に入るとしよう。帰宅は例のごとく二十二時過ぎである。朝起きると、友人の頼まれごと(有償)の残りを一時間かけてやり、昼から三限目から学校へ行き、授業へ参加、あと四限に出て、友人の依頼の残りを学校のPC室で一時間で完了。その後、図書館の地下のいつもの場所に潜ったのである。そういえば、今日は腹の調子が悪かった。
腹イタと言えば、私は前半に述べたように風邪は滅多に引かないが、腹をよく壊してしまう。この日は原因不明だが、まさか昼飯の赤いきつねのせいであるまいし、むむ、貧乏食生活を、またもや披露してしまった。って、単純に昼飯食うために二十分早く家を出たくなかっただけなのですよ。ホントホント、って、いやはや無駄話に更なる無駄を挟んでしまった、で続きですが、腹イタの原因、それは大体、生活異常習慣の時に、飯を食った直後に横になって寝る、寝転がる、すると、何割かの確率で激烈な腹痛が襲いかかってくるのである。そう、原因はわかっているのである、昔から。しかし私は間抜けなことにストップできない、やはり誰が何と言おうと間抜けだ。もっとも私は馬鹿は嫌いだが、間抜けは結構気に入っている。字面的には関西的にはアホも良い。っと、また脱線しそうなので、結論。腹イタ事件については、私の異様な食生活とはあまり関係ないことがわかったと思う。もちろん拾い食いなどしたことは、私の歴史の中で絶無である。ということで腹イタがその食生活にあると推理した貴方の期待を美事に裏切らせていただこう。つまるところ、ただ単に私が因果関係がわかりつつも飯後のゴロンの衝動を止められないだけなのだ。いやはや日記らしからぬこの文章であるが、そろそろ終幕、そして久しぶりの幕の言葉をかけようではないか
「カーテン・フォール」と
2001年1月14日(日)
全くの部外者ながら、本日は関西ミステリー連合に参加するために京都大学近くの某ホールへ行った。関ミス連のようなミステリ集会のようなものには初めて参加したのだが、かなり大満足である。京都まで足を運んだ甲斐は十二分なのだ。というのは今回は綾辻行人、法月綸太郎、我孫子武丸、麻耶雄嵩の京大ミス研出身の四新本格作家の四人揃っては初だという講演も聴けたからである。そもそも私は本格作家の実物を生で見たことがなく、法月・我孫子・麻耶の三氏については著者近影とかの写真でしか見たことがなかったので、生でかつ勢揃い、これだけで感動ものだというのに、内容も四人の若かりしデビュー前後の話やら近況やら占星術、Xの悲劇とかの「金田一少年」のネタばれの話やら、本格ミステリブームの今後やら、京大ミス研の頃の話やらで、てんやわんや、まさに期待以上に面白かったのだ。
あと、この講演の前に関ミス連で大学別ミス研クイズ大会をやって、その順位を当てると傍視聴者にも四氏のサインが当たるというイベントがあったが、残念ながら惜しくも?外してしまった。クイズ問題は、ジャンルごとに10〜50点の問題があるもので、国内及び海外本格問題や綾辻・法月・我孫子・麻耶四氏に関する問題は過半数以上解けたのだが、国内及び海外その他と称する問題は、ハードボイルド系やらのため難解でサッパリであった。もっとも解答者たるミス研の人々も最も苦戦していたジャンルであったが。なお、乱歩に関する問題は第二回乱歩賞の「早川ポケットミステリ」と、そのジャンルごと問題終了後にあった小説の冒頭から早押しでタイトルを当てるイントロ問題に「孤島の鬼」が出ていた。また探偵小説系では、最初のジャンルごとの問題の国内本格50点問題で新青年の初代編輯者、つまり「森下雨村」という問題が出ていた。
オークションが最後に任意参加であったようだが、帰宅後に手つかずの友人の依頼の某原稿も控えていることもあり、四氏の講演終了が六時十分ほどであったので、少々気になりつつも帰宅することにした。で、行きもだが、帰りもくそ寒い中、四条河原町〜川端丸太町の先(京阪電車二駅分:往復約400円か)まで歩き、おっと、セコイなんて思ったそこの君、四条河原町までの往復切符(往復で1020円)は昨年の回数券が余ってるだけに二駅ごときで400円は勿体ないではないか!って、やっぱり時間不足の割にはセコイかな、でも金も不足なのだよ、ということで、西宮市への帰宅は八時半であった。なお、朝は私の平日並の十時過ぎ起床で、十一時半前出発、四条河原町着が十二時半頃、そして会場到着は十三時であったこともつけ加えておこう。それにしても明日から半日常駐予定の学校は案外疲れます。
2001年1月13日(土)
日電の、つまりNECの学内セミナーに行った。大変わかりやすくNECは大企業中ではやはり狙いたい企業になりそうだ。その後、図書館の地下に土曜リミットの十八時あたり前まで潜む。もっとも日電だけで帰るのが勿体ないと思っただけだが。それと新青年が少し読みたかったというのもあっただろう。
2001年1月12日(金)
今日で、なんと火〜金まで図書館常駐により、帰宅PM10時以降である。美事としか言えないだろう。我ながら自画自賛。しかしかなり疲れてしまうようだ。学校生活十二時間は疲れる。ところでちょい前にわかっていたがJ検こと情報処理活用検定、準二級及び三級合格した。これで次の明確なターゲットをシスアド、二種、J検二級あたりにすることが出来そうだ。まぁ、今年の目標であろう。当面の目標は不況下の就活なのは言うまでもないのだが。
2001年1月9日(火)
他人が見ても全く面白くもないだろうが、一日のタイムスケジュールを久々に記そう。これも本人が数年のちに見たら笑える内容だろうからだ。
今日はAM10時起床。大学に行く。それでまず2限目ゼミ発表だった。少々失敗もあったが、まぁご愛敬ということにして、まぁ、そういうこと。昼飯は空腹感もないし、金銭をケチって、百八十円のかけうどん。三限目は民法C債権法、四限目は社会福祉法、寝ていた・・・。というようなわけだ。まぁ、この日は友人と同じ授業三連発なので暇にならずにはすんだ。あとはPM10時まで図書館の地下に寄生。まず四時半から五時半くらいまで12月にやろうと計画していたSPIの性格診断テストをする。結果はまぁ、予想通り、恐ろしく極端なことにはならなかった。その後、学食で三〇分ほど夕飯、四百円のサービス定食。6時から8時まで会社法の教科書を三十ページ読む。まとめて復習だ。というより汗なことだが、諸々の事情で初学部分も多かった。八時から九時まではシスアドの参考書を復習。こちらはホントの復習だし得意分野なのでペース早し。それでも私は法学部・・・。九時から四十分ほど、新青年復刻版の創作二本読了。もう一つ読みたかったが、十時に図書館は閉館なので、断念。代わりにD坂の読み方確認+江川蘭子の挿絵を見るなど、で十時二.三分前に引き上げ、帰宅は十時十分であった。ちなみに帰り道は雨の中を、折り畳み傘片手に下り坂を自転車で走ったのである。後は、ニュースステーションでも付けて、ポテト食いつつ、WEBサイト『乱歩の世界』を微妙更新。この日記書きでただ今十一時二十分なのである。
2001年1月8日(月)
関係ないが今日は成人式だということで、またニュース番組でお笑い事件を垣間見ることが出来た。とかいう私は該当の2年前に地元にいなかったせいで成人式未体験者であるが。ちなみにその年が最後の15日成人式だったはずだ。と今世紀初の日記を書きはじめる、なんと去年のクリスマス以来であり、そんなわけだからただでさえおまけのおまけのようなコーナーを読む人は減少してただろうから今日明日にこれを読む人は奇跡的確率だと思う。それはともかく内容に移るとしようか、そうそうついでだから近況状況にしよう。
まず第一章に実家中のだ。別に取り立てたこともない。初詣もせずじまいだった。まぁ、これは例年の如くであり、昔から私は好きこのんでシーズンに人と同じことをしようとはあまり思わないのだ。まぁ、そう言えるのは年中基本的に閑な身の上だから、という説もあるので、社会人になったら変わるかもしれない、そう人は変わるものなのだ、しかし私的には死ぬまで周りに左右されずに気楽に気ままに適当に生活したいものなのだが。まぁ、そういうわけで福岡中は高校時代の友人らと福岡市の中心の天神界隈に行くなどをした程度で、基本的に閑であった。読んだ小説の数が持参の数以上だったことが如実に物語っている、実家にあった探偵本1冊+地元ブックオフで購入した探偵本2冊まで進出してしまったくらいなのだ。おっと、ちなみに私は二十二歳であるのだが、両親、祖父母、叔父叔母からそれぞれお年玉を貰った。なお額は一族の規約で秘密にしておこう。多分大学生ラストの来年まで貰えるのだろうと予想される。メインの住友銀に貯金しようとしたが関西復帰が金曜の夜だったせいで未だ果たせずだ。とどうでもいい話が長々と続いている。一体、どうしようというのだ、私は。しかもまだ第一章である。まぁ、実家生活は勉強する気も全く起きず終いで飯がやはり美味いとか程度だったということだ。そういえば、なぜか朝起きは順調であった。朝まで探小を読んでいた割にはベットで寝ると調子がいいらしい。おっと、いつもの西宮アパートでの私は非常識なことに床でそのまま寝てるのである。ここだけの話、ハイベット、それは2000年度中収納スペースの関係上、物置と化してるのである。恐るべきは大量のもの。そして私は本当のゴミ以外捨てることが出来ない性分なのだ。例えば物理的に壊れた絶対直らないHDDの残骸がなぜ未だ部屋にあるのか謎である。ミステリーだ。もう一年になるかもしれない。それとか本の雑誌類とか古い教科書が溢れてベットの上が置き場になっているのも謎だろう。それとなぜか中古エプソンスキャナの段ボールがベットの上に縦置きされている。もっともこのスキャナ段ボールだけの時代は充分ベットで寝れたのだが。なんか怪異的に脱線している。元々統一性なぞないのは分かってるにも関わらず明らかな脱線を弄するのも珍しいことだろう。ということで、第一章は終結しよう
で、第二章、最近関西復帰後の話と言いたいところだが、ページ数がもうない。というのは低俗な冗談だ。まず年賀状を書いた、予想以上にこちらに来ていたために少々焦ったのは言うまでもない。元々住所名簿を忘れて福岡では書けなかったので、何枚かは想定していたのだが、凌駕してしまおうとは、煩わしきか郵政省の罠である。いくら私とはいえ、返辞というか、なんというか、こういう時には年で唯一、手紙らしい葉書を出すのである。電子メイルのように全てがデジタル化するとか、の時代を十年後くらいに期待するとしよう。あと就職関連の企業葉書も大量だ。年末年始に止めて貰いたいものだ。私はネット上のDMは読むが、アナログは積んであるだけであまり読んでいない。一応帰省前に目は通しはしたのだが、興味ある業種はネット上でもまずあるのだ。もちろん雑誌みたいなのは見やすいので読んだのだが。と、これが五日六日の帰った後の出来事であろうか。昨日七日は、雪が降っていて、買い物に出かける際に足跡をつけて、一人ニヤつくという大事件があった。さぞ不気味であったことだろう。というのは冗談だが、久々にまともに積もった雪を見たのは確かだ。小学生時代の昔は福岡でも年に数度は雪が積もってたような気がするのだが、やはりこれも目に見える温暖化の影響であろうか。そういえば、大学以降の関西では二年前に少々積もったような気もするが、去年はどうだったか?少なくとも去年この時期は雪化粧はしていないだろう。もしそうだったら外でのバイトが恐怖経験になっていたかもしれない。脇道がどうも人気があるようだ。本題に立ち返ろう、とするが、しかし本題も特にないのは相変わらずだ。勢いづけに第三章本日といいたいところだが、もうこのまま二章扱いにしておこう。別に大したことをしたわけではない。実際何もしていないにも等しいのである。福岡の地元本屋で売っていなくて悔しかった『絢爛たる殺人』『あいにくの雨で』を宮脇書店で購入して速攻で一冊読んだ程度だ。あとは明日のゼミ発表の自分のレジュメをちゃんと漢字ミスなしで読めるか試した程度か、内容は忘れているのが、問題だが、まぁ、いいことにしておこう。時間がなくなってしまったのだ。で日記は終わり
ついでに一つ情報。実家で昔買った96年半ばと97年後半のパソコン雑誌をいくつか見てみた。ちなみに両者ともWIN95時代で、96年の雑誌ではPentium133MHzが、97年時代ではPentiumII登場、ミドルレンジはMMX pentium200〜233MHz、AMD K6の話題も有り程度の時代だ。九十七年の雑誌ではNetscape、IEともにバージョン4のβ版特集や正規版登場の話題があったりした。ちなみに96年でのシェアは、ネスケ8割。97年のバージョン4登場時点のシェアはネスケ対IE半々と言ったところだ。やはりWIN98に強制的にIE4が付いてからシェアがIE一人勝ち状態を引き起こしたのは間違いなさそうだ。ちなみに今ではIE9割ネスケ1割程度なのが実状である。確かにIEはネスケの独占を崩し、価格をフリーにしたことに貢献したが、そのあとのやり方が非常に汚く、案外ネスケを完全に滅ぼした後にブラウザに値段を付けてくることも考えられる。いや、WIN98以降はOS統合だからOSの料金に含まれてる可能性もあるのでは。そしてOS付属以外のバージョンアップ版とかではインストール後に不具合があってWindowsシステムが崩壊(IE4以降はOSのシステム系ファイルを書き変えるから)しても、フリーソフトの恐いところで、なかなか使用者はそれにケチをつけれないのである。事実MSも言い逃れ出来ている。まさに滅茶苦茶だ。
と、MS批判をすると、MSソフトは世界中に使用者が多いため、ウイルスに狙われやすいとか、多いとか、その利用者を増やしたのも抱き合わせ販売だとか、妙な規格を作っては殺すとか、キリがない。もっとももちろんMSのいいところもあるのは認めるし、PC-9800ファンの私も選択肢のないOS分野ではWindows95→98→NT4.0、他3.1、MS-DOS6.2などを利用しているわけなのだが、願わくば、CPU業界の従来独占のIntelがAMDという新勢力に苦戦し始めたように、コンシューマーOS界にもMSのライバルが欲しいのである。もちろん主にサーバー用途のUNIX系OSのLinux系やBSD系やシェア3%程度かつx86でないMacでは今のままではライバルにはなりえない。期待のBeOSもサッパリでは・・・なのだ。他に96年とか97年の記事ではPC-9800シリーズがまだ健在なのが涙を誘う。というのは言い過ぎだがやはり嬉しい。何を隠そう私のメインマシンのPC-9800Xa12/Cも基本的に交換のきかないマザーボードとケース、フロッピードライブなどは95年マシンなのだ。さすがに97年中古PC-9800に買い換えか、最新AT互換機導入かを今年中に決断しそうな感じではあるのだが・・・。と、そろそろ疲れたので、終わろう。一体なんだ、この日記は、と後世の人は思うことだろうか。なにせ作成者も読み返せない、支離滅裂臭くて、いいのか公開して、まぁ、いいか。