ちゃらんぽらん日記 Ver 2.13

2001年3月


2001年3月31日(土)
 今日で3月も終了。早いような遅いようなである。しかしその最終日は寒かった。セビロ+久々のコートである。土曜のくせに朝っぱらから起きねばならないので正直、夜中まで起きていて、朝苦手な私は辛い。午前中の説明会。
 それと、今日食べたカレーは不味かった。何だアレは、ってな感じである。学食以下なのだ。せいぜいライヴァルは200円台のレトルトカレーだろう。まともな一食が失敗だと、苦しいことになるのが痛い。


2001年3月30日(金)
 今週唯一の予定無しの休暇だった。四月は土日も多いのだろうか?今はデーター不足で不明だが、この先どうなるだろうか。昨日の日記を書いてないので、一応一文、午前午後と二つ、と書いておこう。わざわざ特に書く必要もないのだが。とにかく今日は体力回復の時。なにせ来週は強敵揃いだからだ。


2001年3月28日(水)
 法学部、成績発表の日。成果は完璧に準ずるものだった。確かに二教科、八単位落としたが、これは取るに足りない重要度のもので、これで来年の負担は恐ろしく減った。いわばゼミを除けば、何でもいいので八単位。この何でもいいからが強力で、ゼミ以外はまず一度も授業に出ずにすらも余裕でクリアできるだろう。強敵ぞろいの法学必修系科目が埋まったのが、私の四年目をハッピーにしているのだ。実は四回生のゼミも私は履修するとはいえ、必修ではないので、春で卒業単位を集めるのも余裕なのである。つまりなんでもいいので十二単位。とにかくこれで安心して就活に挑めるというものだ。しかし相も変わらず、授業行ってた頻度大が落ちたり、点数悪かったり、授業殆ど(全く)行ってないのが点数良いとか、他テストの出来が最悪でなぜか受かってたり(しかも点数高いのは特に謎だ)、不可思議なのも事実だが、他の人に比べても私はどうも効率よく単位を修得しているらしくこれも試験対策の才能なのか、それとも単なる幸運なのか、よくはわからないが、省エネで成果が上がるのだから完璧だろう。
 で、それは午前に来期の手続きとともに済ましたことで、午後は梅田で説明会&筆記、適正。これも数学パズル系で、しかも見たことある問題。ということで楽勝だったのかな?


2001年3月27日(火)
 午後に京橋。とりあえず筆記は簡単だった。どうも私は選択問題に限っては全部か七割以上数学やパズルの方が確実かつ楽に解けるらしい。帰りはなぜか歩き再びで梅田まで、120円区間だというのに、考え事をしていたらJR大阪城北詰の地下乗り場を通り過ぎていて、またしばらく歩けば地下入り口あるだろうと思っていたら、見つからなかったからであり、決して決して事故なのである。間抜けすぎるのが玉に瑕だが。で、途中早々と天満橋も通過するなど昨日と同じようなルートで、早歩きの後一時間、ようやく大阪駅前の第三ビルに到着。そしてとんこつラーメンがタイムサービスで2/3の400円と安かったので唯一のまとな食事の早めの夕飯を食したのだった。しかし私の外食は定食、カレー、丼物、ラーメンとかばっかりで、洋食らしい洋食はまるでないな。それはB級外食ばかりだから当然と言えば当然なのだが。


2001年3月26日(月)
 天満橋で朝から昼過ぎまで説明会&適性検査&筆記試験、これがまた難しかった。相変わらず時事とか一般常識が汗であるし、国英数のレベルも高2ぐらいのレベルでいやはやなのである。数が一番楽とはなぜ?それと、朝の行きは地下鉄だったが、帰りは梅田まで歩くのだった。急いでない時は200円は勿体ないゆえだ。


2001年3月25日(日)
 あいにくの雨である。洗濯に苦しい雨。しかし昨日(卒業式)は晴れて良かったというのは次の日が雨だから思えることでもある。一昨年は天気が悪かったからだ。とにかく2000年度最後の日曜日、私は相も変わらず精神活動に専念したといいたいところだが、やはり邪念誘発要因は多々あるわけでいやはやである。おっと、それと暑い+鬱陶しいこともありコタツ撤去をした。今は無理矢理部屋の端っこに追いやってるわけだが、晴れた日に干して完全にしまうことにする。 
 唾棄すべき事柄一つ。ウーノの宣伝だったと思うが、社長が金髪で、他の社員も金髪にしたからと言って、不安に思ってか一人黒髪の自分も金髪にするCMがあるが、あれは低俗に他ならないと思ってしまう。あらゆる意味で日本的CMであり、周りに自分を沈める没個性である。私から見れば恥ずべき行為を見るべきだろう。きっとあの会社の社員は白人社会や黒人社会に入ると、究極には整形まで考える(それともする?)のだろう。まさにお笑いぐさだ。本来なら社員みんなが金髪で一人黒髪ならば圧倒的に目立ち有利だと考えるべきではないだろうか。しかし迎合の腐った精神は埋もれることに終始する。こんなんでは一生、大衆大多数の一人であり、統計上の数字を+1するに過ぎない人生しか、送る道は万に一つたりもないだろう。自分が他人と同じでありたい、周りが自分と同じでないと気がすまないというのは、単なるナルシスト精神にも相通ずる心理ではないのか!?


2001年3月24日(土)
 先輩の卒業式。時が経つのは早いもんだ。そして私も四回生であと一年しかないのか。
【追記】西宮でも震度3程度とは思うが、30秒近い気味の悪い揺れに酔いそうになってしまった。広島では震度6弱で死者までも出たとのこと、やはり地震エネルギーは恐ろしいものである。私の部屋は震度3でもバランス悪く積み上げているものがグラグラしていた。これでは危険かもしれない、と思ってしまった。


2001年3月23日(金)
 いよいよ眠くて疲れてどうしようもない疲労感。どうもノンレム睡眠が出来ないせいである。こういう中で、堺筋本町でグループワーク、移動の手間もあり、飯食う時間もないまま西九条で説明会と、結局飯にありつけたのは夕方。グループワークはまだしも、午後の説明会では居眠りするし、もう最悪である。チェックされてたら即死間違いないだろう・・・。ちなみにさすがにこの日は電車は睡眠時間だった。


2001年3月22日(木)
 久々にJR京都駅前まで行った。疲れた疲れた。往復300円違う(駅すぱーとによると、時間は10分の差らしい)から阪急+地下鉄烏丸線で、しかも疲れているのに車内で本読むからまた疲れるのだ。


2001年3月21日(水)
 午前午後と連続説明会日程。福島と梅田だったので、JRも使用で金も使い、時間もぎりぎりなかなかの日程だった。午前の方の一般常識はハッキリ言って汗だった。新聞読んでないせいで建設省+運輸省=がわからないとか・・・色々、午後の方の適性検査は数学的論理的問題で前にほとんど似たような問題を経験していたので多分大丈夫と思う。とにかく疲れた眠くて仕方がなかった一日だったのである。
 それと最近一気に暑くなったものだ。暖かいでなく、もはや暑い。
【追記】「乱歩の世界」が何やらまた雑誌かムックかよくわかりませんが、再びアスキーに、別のシリーズとして載るそうです。四冊目(連絡有)のムック(雑誌)。他二冊はエーアイ出版とどこか失念しましたがあと一つありましたし、2000年10月21日の日経新聞にもおまけでしょうが紹介してもらってますし、―蛇足ながら図書館でバックナンバーをコピーしてたりします(笑)―やはりメディア紹介は嬉しいですね。


2001年3月20日(火)
 実は21日夜に記述してますが、この日はダイエーへの買い物ついでに古本市場に寄ると、なぜか「や」行に小栗虫太郎の角川文庫版「人外魔境」を発見、無事捕獲しました。あとは、書くことない、暇人なんですけど、久々に飯を自作しました。


2001年3月19日(月)
 結局、昨日の清書は最後まで書けず仕舞いになってしまい、しかもそのくせ時間だけ食ったものだから、今日の早朝起きに重なって、睡眠不足になり、夕方に一眠りするまで、眠くて仕方がない一日になってしまいました。しかも朝の京橋でのセミナー&筆記試験に時間を三十分勘違いしたせいで十五分遅刻、まさに踏んだり蹴ったりです。名前確認の受付もしてないので、筆記の結果を席で確認されてない限り、多分大丈夫だと祈りますが、いやはやには変わりないですね。しかも寝不足で脳味噌の調子も悪く、成果は不明です。今日は大企業だっただけにどうでしょうか?ここで落ちたくはないんですが。
 とりあえず午後はフリーだったので、帰宅後早速急いで昨日の続き。何とかこの日付けで郵便局に間に合いました。この時、EPSON PC-98互換機の同人誌の為替も送り出しました。楽しみですね。
 夕方爆睡三時間の後、新青年復刻版で読もうと思っていたが、やはり5/8でストップ中、いつ学校で読むか不明だと気になるので、手持ちの河出集で小酒井不木「疑問の黒枠」の残りを読了。最終的に前中盤との連関がいまいちで犯罪方程式には不満のような気もしましたが、それでも本格味の強い作品で大変秀作だと思いましたね、やはり。しかも昭和二年での創作長篇本格探偵小説ですし、嚆矢的作品として評価できます。
 いきなり話は飛びますが、私はマイラインは応募してなく、そろそろしようかと思ってますが、市内通話はテレホのせいでNTT西日本にせざるを得ない、残りは多分KDDIにすると思います。って、今でも残りはKDDIなんですが・・・。そのKDDI、私は贔屓にしてるんですが、どうも宣伝は面白みもあるが諸刃の剣で自爆気味のような気がするのは気のせいでしょうか。特にauは若者向けにしか宣伝してなく、しかもなにかしら不快感も感じさせかねない宣伝。前のセルラーの方が、九州と関西しか知らないものの宣伝の質は遙かに上質だったような気がします。ドコモなどNTTグループに対抗するならば、幅広い支持を得れる宣伝を考案してもらいたいものです。ちなみに私はマイナーで加入者横這い、つまり相対比ダウン中のTU−KA、KDDIグループですが、いつauに吸収されるのか怯える、いや期待?してたりする日々です。J-Phone完全互換メールとauのEZweb両方使えて便利なんですけどね、とりあえず。しかしIMT-2000などの次世代技術が持てないのが痛いのです。


2001年3月18日(日)
 昨日のtotoは結局配当金低いようでしたね。関係ないですが。で、今日は2社分のエントリーシートをダラダラと作成中、23時現在まだ作成中。出来れば明日出したい、水曜に速達使いたくないから。だからあと一社分さっさと清書することにしましょう。


2001年3月17日(土)
 サッカーはやはり面白い。衛星でG大阪対横浜Mを見たが、手に汗握る展開でG大阪の勝利。久々にまたサッカーを競技場に見に行きたいものだ。しかし予想についてはやはり困難で、totoは鹿島柏の敗退と浦和の引き分けのせいで、恐らくまた高い配当が出るのではないだろうか?とは言え、J2は全部順調だったから案外楽だったとも言えるかもしれないが、大分が辛うじて勝ったことで安堵した人も多数いそうな予感だ。
 サッカーと言えば、14日に韓日W杯の申込みはしておいた。当たれば良いのだが。狙いは確か関西の決勝トーナメントと日本戦、しかも休日or夜間の試合だったと思う。あと決勝と。競争率は高そうだ。
 で、日記らしいことを書こうと思うが、外に出たのは土日の最低限食料買いくらいで特に明記したいこともない。金がないので必然的籠城なのだ。エントリーシート書いたり、まぁ、面接対策の文言対策とかだ。あとは「高木家の惨劇」とかを読んだってところかな。しかし雨のせいで洗濯できず、明日しなくてはならなくなってしまった。部屋も片づかない。コタツもさっさと片づけた方がスッキリしそうな気もするのだが。


2001年3月16日(金)
 毎日革靴、しかも安物、を履いているせいだろうか、右足小指先に絶妙なる痛みが走るようになってしまった。来週までに直ることを祈るばかりだ。それで就活で最近毎日大阪中央部に出掛けているわけだが、おかげで出費が半端ではない。阪急だけで済んだとしても、往復520円、JRや地下鉄に乗り換えると、その1.5倍から2倍、いや掛け持ち用によってはそれをも越えるのだ。しかも昼飯は外食なわけだから500円から800円位の出費、これに夕飯代も合わせると、一日の出費は2000円・・・、いやはやなんとも、もはやである。
 まぁ、それはさておき本日は福島で集団面接。無論緊張はしたものの、適度程度で言いたいことは滞りなく言えたので、自分的には満足いく内容だった、はたしてもう3度(四次面接まで?)以上そのビルに行けるのか!?とにかく頑張ろうと思う。そしてステップアップ。


2001年3月15日(木)
 ユニットバスの電球が切れて、トンでもないことになったのは昨日夜。で、今日買いに行くのだった。どうも消耗品が最近切れる時期のようだ。
 午前に京橋で説明会と筆記。七割必要だそうで、あの筆記は大丈夫かどうか?それから夕方には吹田で三次選考の個人面接。この時間の空きを消費するのも案外疲れた。単に緊張時間が長いだけだったではないか。面接の成果はやはり厳しい、緊張の嵐だ。とにかく二週間前よりはずいぶんと言えたので良しとするしかないだろう。ある意味、ステップアップと割り切るしかない。今週末は自己分析煮詰めるべきだとも再認識してしまった。


2001年3月14日(水)
 午前、新大阪で説明会オンリー、時間空けて、午後弁天町で適正検査などと大忙し。午後はやや失敗気味かもしれない。小学性的算数のパズル問題が難しいのだ。それはともかくとして、さて、明日は面接(三次選考)か。結局、対策らしきことあまりしてなかったり。いやはや、2度目とはいえ、3月決戦はやっぱり早い、しかし前が失敗だけに、とりあえず今度は悔いなきよう頑張るしかない、それにここまで頑張ってきたのにここで汗成果ではへこむだろうし、うん、頑張ろう。


2001年3月13日(火)
 説明会が午後にあったので、新大阪に行った。と言っても南方で下車したが。とにかく面接を頑張らねば。全ては面接・・・。しかし眠いなぁ。


2001年3月12日(月)
 午後、吹田市にて、グループワーク面接、とりあえず私的には反省点もありつつも、楽しみながらそれなりには充分出来たとは思うが・・・、次へ進めることを祈りましょう。それとは別だが、前受けた会社、初めて筆記で落ちてしまった。なぜ・・・?英語でマズッたのか!?、マーク式でなかったから字が汚すぎたのか、そのとおりで案外汚字のせいだったりして(汗)確かに書類も書き方汚すぎたな、ありゃ、今後は綺麗に書こう。とにかく面接まで行けずに残念無念。
 それと一応この日記の内容に対する見解ですが、これは単なる日記であり、私見の固まりです。悪意重過失なき間違いや勘違い及び一部不快にさせるような文章もあるかもしれませんが、そういうものと思って諦めて頂くしかないのです、いやはや。何人読んでるかは面倒かつ(少なすぎて終了宣告しそうで)恐ろしくもあるので一切調査してませんが、記述ミスや不適切もどきなどに対して言い訳を先にしておくことにします・・・・・・。


2001年3月11日(日)
 結局、WindowsNT4.0を入れ直すのは止めにした。システムチェックに掛けるとほぼ以前の状態に戻り安定もしたからである。サービスパック5なのが気になるが、まぁいいとしよう。ハードの手動設定から大量のアプリのインストールには時間が勿体なすぎる。
 しかし今日一日めぼしいことは出来ず仕舞い、こんなことでは駄目だというのに。時間がないという現状下、時間ある休日の時間よりも、少ない平日の空いた時間の方が有効に使いこなせているのはなぜだろうか?いやはや困ったものである。自己コントロールが甘いということか。


2001年3月10日(土)
 深夜からピンチだった。ちょっとしたミスでNTの画面が映らなくなったのだ。それはこういうことである。ディスプレイの能力を超えた解像度を思わず設定してしまったのが原因だ。Win95/98だと元より設定できないものが、WinNTだと設定出来てしまうのだから恐ろしい。しかし別段直るだろうと思って、私は別に焦ることもなく、サブマシンでネットをし、解決法を探した(私のNT歴は短いので、Win95/98ほどには知識の集積はない)のだが、見つかったのが恐怖の情報。AT互換機ならばVGAモード、つまりWin95/98におけるセーフモードに近いモードでこのトラブルの修正が容易に出来るが、PC-9800シリーズでは不可能という情報だったのだ。WinNT起動のチャチャさんは喋るものの、画面見ずして解像度変更、しぶとく試みたものの出来なかった、で結局諦めて修復セットアップ、最近全く修復ディスクを作っていなかったせいで、データー系は全く問題なかったが、まぁ、これでも一安心なのだが、なにせ最近の就活メールは1日分なくなってもヤバイのだから、WinNTのレジストリはボロボロでドライバなども吹っ飛んでいる部分が多く、アプリも起動上死んでるものが、ウイルスバスター2001やATOK13などあり、もう復活に昼迄かかってしまった。なにせNTのサービスパックが1に戻ってるクセに、サ−ビスパック5以上必要なウイルスバスターがいて、しかも動かない上にアンインストも出来ない。更にサービスパック6のインストールが不可能、これは今でも不可能だ。IE5.5の128ビット暗号のせいのはずなのに、5.5を消してもなぜか出来ない。そこでサービスパック5の昔の雑誌附録CDがあったので、インストール。これは40ビット暗号版を128ビット暗号にインストール出来るような仕組みだったので、なんとか問題は解決・・・と思いきや、やはりサービスパック6はインストール出来ないのである。サービスパック5を入れた時点で40ビット暗号に戻ってるはずなのに、不可解すぎる出来事。まぁ、それを除けば、ATOKもウイルスバスターも復活させ、面倒なLAN設定もし、見かけ上は復活した。しかしやはりどうもシステムがボロボロっぽく、重く感じる。サービスパック6でないのも影響してるかもしれない。ともかく偉い目にあった。Win98領域のFAT32中の10GBに新しいNTを入れ直したいが、NTは全手動の設定がやはり面倒かつアプリも入れ直すのが面倒なので、どうすべきか、しばらく様子見だろうか。ちなみにNTでFAT32は「FAT32 for NT」という英語ソフトで読むことが出来る。なお、ついでにNTFSをWin98で読む方法は「NTFS for Win98」DOSでは「NTFS for MS-DOS」だったか、読める。ということで、PC-9821のマルチブートでWin98上から、いやそもそも予備のNT領域を作れば、NTFSのデータも吸い出せたのだが。最後の手段は講じることなく終わってまぁ、幸いとしておこう。
 このようなわけで今日は学校に行こうとしていたが、断念せざるを得なかった。ああっ、でも行く計画だったんだがなぁ・・・・・・。我ながら馬鹿なことをしたものだ。shurikenのメールデータって、規定のバックアップしてからでないと有効にならないのが痛い・・・、ポスペだったら、例えばFAT16においとけば、他のWin95/98からでも全く問題なくメールデータにアクセス出来るのに。まぁ、これだとクラッキングすれば、誰でも見るだけでなく操れるという恐怖もあるんだが(笑)
 ついでだから私の使ってるアプリを紹介しておこう。まず別格基本ソフトウェアから、メインOSはWindowsNT4.0WSだ。別領域にWin98(無印)とWin98SEが一応いる。で、応用ソのアプリ、ワープロは一太郎10(ワードは使いにくすぎるので放置。)、日本語変換はATOK13、NECAI95(笑)(MS-IMEは問題外、あれは「私的」には駄目すぎる)、ブラウザはMozilla0.8が9割、Netscape4.7が9%、残りがNetscape3.04、Justview3.01(笑)、あと前はIE5.5だったが、今は4.01になってる(汗)である。メーラーはShuriken2.1とポスペ2.04、表計算は三四郎9とExcel97、データーベースは五郎9、図形は花子9、画像系はPaintshopPro6やらGcrewなど。それと不正アクセス防御のファイヤーウォールはZoneAlarmという英のフリーソフト(どうも土/日の切れ目は不正アクセスの人が多いぞ、ダイヤルアップ環境に対しても)で、ウイルス対策はウイルスバスター2001。あとエディタはエムエディタっていうところだろう。ちなみに言語ソフトはフリーのJava2 SDK(java開発キット)。こうしてみると、やはりMS商品は少ない。アプリでは使う可能性があるのはExcelくらいか、しかも古い(笑)サブマシンではWord97とか使わないOutlookとかいるんだけど(爆)
〔追記〕忘れるところだったが、Jリーグ開幕、面白い季節になってきましたね。しかし予想は難しいな、こりゃ。浦和は負けるし。


2001年3月9日(金)
 新大阪周辺で大企業R社の午前中純粋説明会のみ。交通費+地図確認で昨日同様、阪急線南方で充分と判断した。この日はさすがに行きはスムーズだったが、帰りに変な道に入り込み、つまり、いやはや迷ったわけで、十分ほどのロスであった。もし日程が詰まっていたらこういうのはかなり危険だ。また午後は暇であったが、どうも最近疲れが溜まってるようで、帰宅後三時間爆睡するのだった。なにせ夜の睡眠時間も短い上に、身体的はもちろん、精神的にも心臓も脳味噌も疲れ気味であったのだから仕方ないだろう。その割にはなぜか電車では満員だろうが疲れていようが、なんだろうが、探偵本読んでるし・・・。
 それとこの日も寒かった。大大阪市内でも西宮市内でも雪・雪・雪、というと些か大袈裟だが、とにかく雪クラスの気温だったのである。


2001年3月8日(木)
 今日は異様に寒かった。それもそのはず大阪市は雨が雪に変じていたではないか。とにかく最近微妙に喉の調子が悪いこともあるし、風邪の魔の手には気をつけねばなるまい。
 では、最近は毎日書く癖にちゃらんぽらんな日記の本題に移ろうか、午前中は予定もなかったので、正規の説明会に日程合わずに参加し損なっていたこともあるし、C社の学内セミナーに大学へ行く。これは結構、為になる説明だった。次に午後、南方にJ社の説明会&適性検査に行く。雪が降っていてビックリしたのはこの帰りのこと。適性検査は国語系、数学系は周りのスピードにも優に勝ってるし、多分問題ないと思う。問題は英語・・・、どうも今年解放された暁にはTOEIC受けることも考えてもちゃんと勉強しなくては、年々使ってないせいもあり、レベルダウンしてるような汗な気分。
 それと昨日の追記にすべきだろうが、ここに書いておこう。遅ればせながら韓日W杯のチケット申込用紙を入手した。我ながら危ないところだった。本当はインターネットで申し込もう、とか思っていたが、マスターカード必須だとは、いやはやではないか。とにかく当選を祈って〆切前に提出しよう。 
 おっと、書き忘れるところだった、いや忘れても問題はないんだけど・・・、ともかくも記録しておくと、南方で360度・・・もとい180度違う方向に、南西の所を北東に歩いてしまい、思わず遅刻しそうになったのだ。大大阪の詳細地図を持ってないと危ないところだった。えっ、なぜ持っているのに根本的に迷ったかって・・・、なぜだろう。でも答えは簡単、北と南を勘違いして、逆に歩いてしまったのだ。とにかく変に思って確認できる地図があるから助かったわけだ。方向音痴ゆえ地図は必携。このように私は関西と関東の地図を持っているのだ。恐ろしく迷うのは嫌だから。とはいえ、方向音痴の悲しさか・・・。東西南北理解できれば迷う問題もないんだが。曇ってるとどうも混乱。
 もう一つ、これも昨日の追記っぽいが、ネクタイのウインザーノットの結び方、微妙に間違えて覚えていたようだ、どおりで微妙に変になるわけで、昨日から正規の結び方になった。しかしやはりネットは便利、ネクタイの結び方でヒットするんだから。


2001年3月7日(水)
 午前中は福島でO社筆記試験&適正検査、午後は弁天町でY社の説明会のW日程。座ってばかりだったので尻が痛くなりました、おっと、勘違いなさるな、私はそっちは絶対超健康ですよ、いやはや一応蛇足・・・。つまるところ同じ姿勢が疲れただけです。でも帰りの電車では座ってましたね。文庫本が読みやすいですし、ああっ、矛盾。とにかくこの日は、T社、H社の筆記合格の連絡が入るなど、とりあえず筆記で落ちるという問題外の汗なことなことにはならないようですね。問題はやはり面接です。そしてどちらにせよ、面接は慣れたいので、私もぜひ挑みたいというところですね。D社のセミナー申込みもしたので、会社電話が複数度、でもフォームで申し込むのは満席速攻すぎなので、特に人数少な目説明会予約は電話の方が私的にも賛成できます。満席に何度なんてこった、と思ったものか・・・。


2001年3月6日(火)
 予定が入っていなかったので、学内セミナーでもと、久々に大学に行った。大企業Mである。しかしやはり学内は学内でやはり単なる企業説明。その後、図書館で履歴書二枚作成、一つ三十分かかるから疲れる、疲れる。しかも最後の方の"私の特徴"覧で「物」と書くところを「特」と思わず書いてしまい、汗・・・、何とかその部分、違う文章を考えて、危機脱出。加えて、その結果、既存の文章よりも良い出来になり、失敗は成功の母を実現させる。やはり変化は利用すべきなのだ。とは言え、単純に失敗したら、その履歴書は書き直しだったんだが。とにかく。
 それとこの日、久々に散髪し、すっきりした髪の毛になった。では次の散髪は随分後になることを祈ろう。


2001年3月5日(月)
 T社の筆記試験に江坂へ行きましたよ、はい。ここも降りるのは初めてでした。それにしても、なぜ午前中だけで終わったのに帰宅が五時過ぎなんだろう、いやはや、梅ブラのなせる業か・・・、えっ、梅ブラって?一体ですと、私が今勝手に命名したのでわからぬのも仕方がないでしょうね、梅田をぶらついていたわけです。おかげでクタクタ・・・(汗)だってさ、梅田経由で乗り換えですから・・・、そのまま帰るのはどうも勿体ない・・・、とも言ってられるのもいつまでのことやら、とも言えますけど・・・。そういえば、別にどうでもいいですけど、なぜ白カッター一枚2900円、二枚で3900円、三枚で5000円の値段表示(袋にもハッキリと書いてある)で、三枚3900円だったんだろう、難しい算術の問題ですね(笑)しかし謎すぎです。紳士服の「Hやま」の謎と呼びましょう。
 そういえば、謎と言えば、内閣不信任案の否決、森総理に呆れていたのはいうまでもありませんけども、少しは期待していた公明党や自民党の塩崎氏などを含む自民党自体にますます呆れ、これでは外国人投資家が日本売りをするのは当然の結果だなァと思う次第ですね。私でもこんな理不尽きわまる"経営者"に押さえられている所に一銭だって投資したくありませんからね。


2001年3月4日(日)
 休みであり、食料買いなど以外では外に出なかった。やったことは明日用の履歴書を作成するなど。ただただ面接対策ノートはなかなか埋まらない・・・・・・。


2001年3月3日(土)
 帰宅六時半、ふぅ、疲れた。朝っぱらから大阪市の中央でH社の説明会&SPI、出来は国語は良いが、2/3占める数学は少々汗かな、まぁ、このレベルでなら大丈夫なはずだが。
 昼過ぎに梅田で友人と待ち合わせていたが、H社が予想外に長引き、四十五分以上遅れてしまった。ともかくもその後、うまいぐあいに時間ピッタリで、北野武の映画「brother」を見れたので良いことにする。飯は後回しになったが・・・(笑)ゾクゾクする面白さ、全然洋画より面白い。洋画のゲーム的軽さと違い、人の死が厳粛に描かれているし、とにかく凄かった。それにしても久々の映画館である。邦画に至ってはいつ以来やら。それと梅田では、本当に偶然に二つ上のN先輩に出会ったので驚いたことをつけ加えておきましょう。


2001年3月2日(金)
 一月前の私にしては珍しい大企業K社に出したエントリーシートは通過したらしい。とりあえずあの当時書いた自己PRですら大企業でも大丈夫だと考えて良さそうだ。問題は面接で言えるか、なんだろうね。ところで、今日は久々の暇な日だったから、とりあえず休養したので大阪市行きはなかった。せいぜい近所に食料の買い物に行った程度である。それにしても最近は自炊率が高い、ふふふ、健康生活こそ我が道だ。おっと、これを書くのを忘れては嘘である。昨日、いきなりガスが止まって焦り、風呂(シャワー)の途中だったので、頭も洗えずムカついていたのだが、今日大阪ガスに電話すると、外のメーターある部分の所で再起動?にて復活すると聞き出せた。そういえば、三年前に理由は失念したが、そういうこともあり得ると聞いたような気もする、まぁ、その後再起動操作で、昼中に無事ガスを復活させることが出来たのだった。
 ポワロ氏から講談社文庫「化人幻戯」+某ブツなどを送っていただいた。ありがたいことである。それにしても我ながら色々な人にお世話になりっぱなしなのだ。
 経済の話だが、株価が12200台、私が株価とか認識した時から考えてもダントツの安さだ。なにせ1985年並の水準と言えば、私は小学生低学年とかである。そういえば、私が高校生だった当時も景気は最低だと思っていたが、よく周りの人は私の時には景気がよくなってるさ、とか言っていたものだが、その実体はいよいよ世界恐慌スレスレまで言ってるんではないか。実力主義は別に反対はしないが、そもそものフィールドが崩壊しては話にもならない。
 そのことにも通じるが、公明党や自民の山崎、加藤両派及び若手勢には今度の森内閣不信任案に最低欠席して頂きたい。最近は公明党にも期待していたのだが、信任するようならいよいよ何のための公明党なのか、私には理解できなくなるのだが・・・。加えての自民の分裂を望む。とはいえ、国民は自民を信任してるわけで、私には日本人の考えが理解できない。森首相だって、ほんの半年前に大多数の理解に苦しむ国民が間接的に選んでるわけで、その彼らは何者なんだろう?何も考えてない、地元利益しか考えていないという観点では、恥ずべき国民なのではないだろうか?それとも責任転嫁の名人か、一部政治家と同類だ。もっとも選挙にも行かない連中は更に恥ずべきで森首相だろうが、政治経済関連で誰を非難する資格もないと言える。積極的棄権なら仕方もないが、消極的棄権ではそれは唾棄すべき国民だ。これなら選挙権を参加意識ある在日外国人に与えた方がいかに民主的であるものか。選挙行かない国民にはペナルティを課すべきではないのか、それで負のポイントが貯まったら国民失格の烙印で税金増税とか、もし民主党中心内閣が成立すれば、この案も取り入れてもいいと思う。
 歴史教科書問題、私の時代でもなんじゃこりゃ、というような記述に、あとで気がついたものだが、現在韓国やら東南アジアで非難が起こってる教科書とはいかなるデタラメだったのだろうか。白村江の戦以前の古代史にも辻褄に無理のあるデタラメ(例えば大陸の軍用馬を知らぬ古墳時代前期の日本の倭民族が4C末になぜか朝鮮高句麗の好太王と抗戦していたり(爆)朝鮮進出の戦力はないのは明らかなのに「倭」という当時の中国から見れば、異境の蛮国全般をさす言葉を朝鮮半島以東に関しては勝手に「倭=日本」にしている爆笑な判断とか)を平気で平佐の日本美化史で教えている中学高校だけあるが、とうとう大東亜共栄圏作戦についても完全美化しはじめたのか、この日本国民はやはり変人の集まりなのではないのか。私は自分を変人と認識していたが、実は一般日本人こそ変人の集まりなのではないだろうか。事実を論理的に分析せよ、と言いたいものだ。


2001年3月1日(木)
 O社の面接は失敗に終わってしまった。ろくに言いたいPRも出来ず、今後の反省にするしかなさそうだ、いやはや。この日は別にK社のセミナーにも行ったが、これはあまり私的に興味はいまいちであった。


2000年6月〜8月の日記はこちら

2000年9月〜10月の日記はこちら

2000年11月〜12月の日記はこちら

2001年1月の日記はこちら

2001年2月の日記はこちら


旧日記(1999年前半)はこちら。

私の履歴書はこちら。