ちゃらんぽらん日記 Ver 2.16

2001年6月


2001年6月30日(土)
 西宮→宝塚→伊丹→(再度)宝塚の冒険の帰り道のことだった。自転車はパンクをし、私はスタート地点でない宝塚で自転車屋に空気入れを借りようとした。ところが完全にタイヤがイカレていたのである。そこで交換することにしたのだが4000円、所持金2000円では足りなかった。私は近くに郵便局があると知ったので、降ろしてくると言い、修理を任せ、そこへ向かうも、悪夢であった。0時半までATM、未だンな間抜けな郵便局があろうとは、いくら土曜でも馬鹿にしている。結局1キロ離れた池田銀行にまで行く羽目に。もちろん自転車屋には通知後だ。つまり疲れたわけだ、いやはや。しかしそう言えば、この自転車も三年半、メンテナンス無しで酷使していれば、仕方がないと言うべきか。まぁ、そういうことで、六月も終わり。ついでに昨日、一昨日の日記も簡単に記した。腹痛はようやく治ってきた様子である。それとPC/AT互換機、初期不具合、笑える話だが、ケースのロックがかかっていたので、今日電話して送り返した。恐るべきオフィスマシンPC330-6577JB4である。ちなみに本日の睡眠時間は早朝1.5+夕方1=合計2.5時間。


2001年6月29日(金)
 木曜の0時前後からの腹痛が尾を引いてるらしく、飯を食ったら腹痛激痛だ。もう最低である。こんなんではまた痩せる。そう言えばただでさえ夏は汗や暑くて眠れぬ睡眠不足で体重落ちるのに。なにせ我が部屋は熱気がこもるため、外が二十六度なのに、三十度超えている。アホすぎる部屋なのだ。


2001年6月28日(木)
 早起きは3文の損である。何せ十時前後では、自動車学校の帰りに行こうとした店がことごとく開店前であったからだ。


2001年6月27日(水)
 自動車学校の入学式である。とりあえず学科二つだけを済ませ、八時半から十五時半まで、眠かった。昼過ぎると、眠すぎてあらゆるパフォーマンスが落ちる。睡眠二時間の弊害なりやか。
 甲賀三郎の曾孫様からメールを頂いた。ファンとして最大の喜びであろう。「甲賀三郎の世界」これを作って、まだ二ヶ月にもならぬのに嬉しいことだらけだ。インターネットばんざーい。
 マクドで昼飯食った後の今日の財布の中身は百円玉一枚と十円以下である。まさに最悪だ。とりあえず、明日IBMのPC-AT互換機の支払い七千円ついでに銀行一万円降ろしたので、まぁ、残金三千円で、少額ながらやっと一息か。ところで、富士通のPentium166Mhz、メモリ48、HD2GBの方が、我がIBMのPentium133Mhz、メモリ32MB、HD1.6GBよりも1000円ほど安かったが、やはり当時の富士通は不治痛と呼ばれていただけに、その型番を調べると、不具合だらけらしい。しかも富士通サイトからも抹消されていた。IBMは調査しても悪い噂はないし、まだバイオス、ドライバなども配布してる様なので、5000円のこのマシンにしたわけである。これでADSLが動かないと、どうなるんだろう?まぁ、あと保安器交換するか、諦めるんだろうが。まぁ、それでもこのマシン、PC-98で苦しいPlamo Linuxしか対応していないので、一般的なLinux実験機にでもするとしよう。ちなみにこのIBM機のチップセットはSIMM,DIMM混在から見て、430VXかな。


2001年6月25日(月)
 猫の驚いた顔、あれは面白かった。深夜にちょっと熱中していたらしく、随分近づいてようやく気が付き、眼を見開いていたのだ。
 自動車学校の金を払って、視力検査も済ませた。この視力検査、幻覚が見えるくらい寝不足だったせいで、やはり視力が半減していた。つまり結構ギリギリ両目で0.8では(笑)右目1.0以上の名が泣く。自動車学校の大金、消費税を考慮するのを忘れていたせいで、今月の生活は終わった。とりあえず週末までは上手く何とかしないと。
 その睡眠不足だが、5時半就寝。8時起きである。起きてしまうのだ。これは昼寝感覚だからだろう。なんという異常体質。で、夕方にまた2時間半寝る、どちらかと言うと、この後の方が脳みそもスッキリしている。つまりこちらが本寝に当たるのだろう。ああっ、やはり変体質。
 東京都議会選、自民の圧勝。どうにかならないのか、この日本人の単純頭脳。まるで、ヒットラーが演説が上手く、わかりやすくハッキリしていたという理由で、その中身を全く調べずに大衆が支持したごとくではないか。もっとも私も小泉内閣は支持するがね。しかしそれは人間小泉に過ぎないのである。まぁ、野党も何の心機一転せず90年代を引きずり続けているのも確か。困ったものである。


2001年6月22日(金)
 物凄い生活。睡眠時間三時間弱でなぜか午前五時起床。ワールドユース日本弱し。やはり監督も選手も小物ばかり。田原以外は本当に知名度低い。二年前とはエライ違いであり結果もそれも準じたと考えるべきか。まぁ、所詮はユース。今後の成長に期待しよう。特にFW。イチローも見たがこれはすばらし。十二時前、時間指定の郵便物を受け取る十二時ODNから電話。今回は最初の日の人だったゆえに対応は良いが、原因結局不明。回線はノイズなどの影響もなくモデムまではベストエフォートの最高値に近い数字を出してるとのこと。結局端末側の問題になり、サポート対象外にならざるを得ないらしい。しかしわからぬ、相手はPC-98のせいだと言い、DOS/Vノートを借りて確認せよ、と言うが、そうそうLANカード付きのDOS/V機を持っている近所の知り合いなんていない。他人マシンにLANカードを設定するのもなんである。結局IBM辺りのAT互換機ジャンクを五千円あたりでゲットし、Win98環境あたりで検証するしかないだろうか。幸いPCI-LANはあるし。Linux実験機に欲しいと思わぬでもないAT互換機だし・・・。しかし、しかし、直るとはあまり思えぬのだが。試しに保安機換えるように大家に交渉してみようか、電話のノイズとかの理由で。瓦斯の調子もなんか悪いし、この際まとめて。使う話術は次の入居者のため。次に改行無しで突き進む。その後、MTUのTRWを弄りながら検証するも、せいぜいマシな設定を見つける程度。どうも連続的にデータが流れないのが最大の問題だ。そうしてる内に眠さで爆睡してしまった。起きたら、四時半、まずい郵便局だ。準備も途中だ。・・・間に合わず、悲劇は重なる。今日は金曜日。明日、西宮中央郵便局まで行くことが決定した。振り込みとEMSだ。それ以外の時間、早朝だとか、午後八時台などに蘭郁二郎を読む。これが凄い面白い。確かに初期のこの出来なら、戦後の扱いは明らかに不遇すぎる、と思うのだった。ちなみに昼寝のせいで、学校へ行き損ねた。明日郵便局帰りに向かう予定だ。私は今週中にあれだけは処理しておきたい。


2001年6月21日(木)
 ODNは酷いサポートだ。二十分待たされたあげくに、いきなり私ではわかりかねますので、君が出たのだ。既にした対策を詳しく言うと、明日詳しいものにかけ直させます。なんじゃそりゃ〜!しかも最初は明日のいつかわかりませんが、ってきたもんだ。当然ながら丁寧語で文句を言って、時間を指定させた。嫌味も丁寧語で言ったのは言うまでもない。「ご冗談がお上手ですね」「ODNって、酷くないですか。」「では一体あなたは何のためにそこにいるのですか?」。もう詳しくない無能をサポセンに置くのは止めてくれ!迷惑だ。私みたく症状を把握して論理的に説明しても、このザマではこいつらは何の役に立つの?と思ってしまうではないか。
 で、その不毛の電話が終わって、昼過ぎに学校へ、九時帰宅。


2001年6月20日(水)
 Kさんから頂いた電子出版の蘭郁二郎全作品が届いた。実は貰えるものは蘭郁二郎と思っていなかったので、前のメールでパーチクリンなことを書いていた。まさか1万円する労作商品をくださるとは、嬉しい限りである。
 恥な事だが、ここのところ毎日のように恐怖の対象が現れる。やはりXX過ぎるのか。とにかく対策ねないと、この上なく気持ち悪い。


2001年6月19日(火)
 卑怯な論理で大勝利。悪魔の勝利だ。そしてやはり卑怯なトリック。でも相手も悪いのである。
 梅田の祖父地図でコレガのPCILAN板を買ってくるも、やはり症状変わらず。また近々サポセンに電話しよう。どうせ一月は解約出来ないのだから、検証しないと損だ。


2001年6月18日(月)
 九時頃帰宅、その後雨がザザザと降っていた。我ながら美事な判断である。パソコン周りの配線がノイズの原因かもと思い、サブマシンを一時撤廃した。と言っても、玄関前に放置しているだけであるが、それにディスプレイに至っては、部屋の真ん中近くを占拠。寝る場所はほとんどないのである。しかし撤廃する際、ケーブル類が恐ろしく絡み合っていたので、次に置く時はまともにしないと。で、結局DSLは直らず。PCIボードを入手してやっぱり検証か!


2001年6月17日(日)
 情報として、CバスLANでもADSL可能な事はわかったが、ますます原因が絞られてくると、恐るべきノイズのせいということになるのだろうか?一応PCIのLANで試そうと思ったが、近所のパソコン工房にはPC-98に対応したメルコのも、アイオーのも置いてなく、AT互換機(所謂DOS/V用)しかなく、今度最低梅田に行くしかなさそうだ。
 時系列を無視した日記の羅列、北口町近くのアルタ西宮は今日も満員御礼。久々に飯を炊いた。起きたら余裕で昼過ぎ。本屋で新古合わせて7冊。寝たのは朝。ドグラ・マグラを観る・・・。
 さて、もう少しでちゃらんぽらん日記2も一周年ですな。混沌のインターネット海に、恐るべきゴミ文章の投棄、それがこんなに続くとは少々驚きである。


2001年6月16日(土)
 ADSLがPC-98のCバスLANで上手く行かないので、テレコムに電話を掛けてみた。一人目は基本の復唱に近い上に何やらあまり詳しくない。で、PC-98ユーザであるという二人目に色々対策法を聞き、実践しようと思うのだった。相手が98ユーザだと何やらその独特の苦労を知っている分だけ親近感が持てるのも良い。最も、その苦労はマニアの苦労だが(笑)。最悪の場合はまぁ、1000円だし、AT互換機なら当たり前のPCIのLANカードを買ってきて、サブマシンで検証してみよう。これで上手く行けば、この際、PCI接続のLANを内蔵したPC-9821Ra20か同Xv13/W(中古)あたりに機種変更だ(爆)
 それとそれに関して最悪な事故が・・・。テレコムに電話かける際にサポートOSのWin98をfat領域に入れたのだが、そのインストールは上手く行ったのだが、最悪なことに別の領域のNTFSが死んでいた。なぜだかよくわからない。Win98ではNTFSは見えないので影響は0のなんだが・・・。とにかく、おかげで折角のMP3ファイルの多くが消滅してしまった。まさに最悪である。まぁ、重要な部分はCD−Rに保存しているが、最近の分が消滅は痛い・・・。不幸中の幸いは、プログラム系でなく、完全単なるデーター系置き場だったことか。NTのあるAドライブやらアプリのあるBドライブやらが消えたら復旧で最悪以上であったからだ。


2001年6月15日(金)
 ADSLは開通したが、トラブルだ。速度が出ないと言う問題以前に超低速。おかげでこの日は真夜中から一日中格闘していた。う〜ん、LANボードがなぜかDHCPでエラーを吐く。コンテックでも純正日電のものでも同様だ。果たしてCバスLANは古すぎてあかんというのだろうか。しかし、しかし、まぁもうちょい格闘しよう。ちなみにモデムは撤廃して再びセットした時に、配線アホ見たく間違えて昨日はネットが出来なかった。いや、正確に言うと、超低速で掲示板だけの閲覧である(笑)。しかしWinNTが非サポートOSなのは痛いな。もちろんWin95も・・・。Win98、Win98SE、Win2000、WinMEのみとは。


2001年6月13日(水)
 昨日は貼雑年譜など読んで、帰宅10時になったものだったが、今日は7時にしておいた。というのは、ちょっと久々に貸レコード屋に寄るつもりだったし、何やらこれも久々に10時に起きたせいで眠かったせいもある。睡眠時間が4時間台ではいけないらしい。まぁ、それはとにかく某探偵小説の映画版2つと音楽CDを二枚借りたわけだ。学校では探偵小説の研究というと大それたものだが、大体は読んだだけである。朝日新聞縮刷版の覆刻版の昭和13年7月〜9月、90日分の雑誌宣伝チェック。記事の方は時代が暗くなっていくのもよくわかるが、特に一般民衆の娯楽や生活に急ダメージを与えているほどではない。しかし確か第一次近衛内閣なのである。今回ではないが、昭和12年を見ていた時は民政党、政友会などの民党vs吏党のようなもので、民意が民政党を取り、林銑十郎内閣の崩れ行く様もマジマジと体験した。現代の新聞も読まずに我ながら時の錯誤を楽しんでいる。後は相変わらず情報系の参考書、英語、商法などを少々だろうか。
 さすがに学校を見ると、半袖族が圧倒的である。私見たく長袖上着を着ているのは少数派だ。しかし冷房が利いている室内だとこれがちょうどいいのである。また夜(外)でもピッタリに思える。つまり昼間学校行くまでの15分さえ我慢すれば良いのであって、つまり私は正しい道を進んでいるというわけだ。それに少数派というだけあり、まるで緑の森の中の数本の紅葉のごとく気分も良い。と言っても、いくら私でも最低30度にもなると訳のわからぬ論理も崩れ、アッサリ青に染まることだろうが(笑)。
 所でJ-DSLはもう明日15日の0時からである。今日が最後の鈍速ネットの日になるようだ。セットの準備は実にもう完了している。しかし出来ればルーターが欲しいが、私のことだ、その1万5千円があれば、馬鹿ノートを買ってしまいそうな気がする。それに玄人指向のCHANPON3(U2-SCSI+USB2.0+sound)の複合ボードの金もいくらか余らせておかなくてはならない。やはりバイトだろう。深夜だな・・・。
 実家のLANも機械的には完成した。(もちろんピアツーピアだが)まぁ、後は勝手に配線を邪魔にならぬ様に変更すれば完璧だろう。しかもとりあえずハブも5ポートなので、増殖しても問題なかろう。いや、親には悪いがきっと増殖する(爆)。しかし私個人もだが、最新のAT互換機を自作したい。結局私は大学時代をPC-98だけで終わりそうな予感だ。いや、32ビット時代のAT互換機には縁がなくなるかもしれない。いきなりAMDのK8ことハンマーシリーズで行くのだろうか?でもK7ことAthlonにも触りたいんだが。最もPC-98好きからすれば、最新AT機だろうが、良くてマルチメディア専門で、私のように整数演算のビジネス系ソフトやらを使う頻度が圧倒的なのでは、出番は少ない(汗)とは言え、非保証品を買う場合の保険にAT互換機を、って、何か間違っている。この保険(笑)。


2001年6月11日(月)
 帰宅。書きたいことはたくさんあるが時間もないので、今日はこれだけにしておこう。


2001年6月5日(火)
 二つ目に最後の面接が何やら受かっていたらしくいきなり最終面接のお誘いの電話が来た。もちろんお断りした。しかし連絡一週間でなかったかな?三週間もかけるとは。この会社は、ちなみに、私の計数能力がウルトラだと出た会社だ。(国語能力は並だが・・・)
 貼雑年譜、昼に聞いても、まだ入っていないとの一点張り。購入はしてるはず、とのことだが。かなり疑わしくもある。まぁ、復帰後の11日に聞いて、同じだったら、迷子で行方不明説が有力説になりそうだが。
 復帰後と書いたのは、明日から日曜か月曜くらいまで一時実家の福岡県古賀市に帰るからである。準備は、明日送るヤマト便。相変わらず文庫本がたくさん入っている。今回は島田荘司、高木彬光、海外本格など。これで手元の読了済本は、ほとんど戦前探偵小説+鮎川哲也になってしまった。間違いなく冊数ではストックの方が上だろう。
 ADSLモデムだけ到着した。しかしODNのアカウントが届かないのだから、どうしようもないのだった。これも5日後には使えるようになってるだろうか。とにかくようやく低速インターネットから解放される。しかもネットのせいの寝不足(異常生活)もなくなるだろう。セキュリティー強化のためにもADSL対応ルーターも買った方がいいが、ZoneAlarm(ファイアーウォールソフト)だけで、しばらくのセキュリティは何とかするしかない、なぜなら金がないので。このままみいそが無視し続けると滅び逝く運命のPC-98でWinNT+最新でない旧型のIEもOEも使わない時点で防衛率も高いのだがね。IEユーザーに警告するが、絶対にIE4以降は、IE4.01SP2、IE5.01SP2、IE5.5SP2(1?)、IE6β(笑)を使うことをお奨めする。(無印のIE5.0はもちろん、SP適用無しの5.5などでも惨いバグ持ちだ、これで特に絶対ActiveXは無効にしないと罠にかかるのが趣味とも言う)ちなみにネスケなら4.74以上は必須だ。(お奨めは最新の4.77英語版)4.73以下はJAVAのセキュリティホールは惨すぎるからだ(JAVA無効なら問題ない)。なお、ネスケ6系なら旧IE並のバグはないはずだ。
 コミックバンチという漫画雑誌が非常に良い。エンジェルハートの北条司は当然の如くの面白さ。他にも獣医漫画も、山下たろ〜も、今回からの韓国漫画も、その他もなかなかの面白さだ。今後も期待である。


2001年6月4日(月)
 ちょっと前書いた、音信不通が解消された。理由は不明らしい。
 貼雑年譜は相変わらずだ。本当にあるのか、不安にもなるぞ。夕方職員ではわからんらしいから、昼に聞いてみるとする。しかしやっぱり夕方職員には30万円の本を貸しちゃあ駄目だと提言しておいたが(爆)
 コンフェデ杯、ブラジルに引き分け。これが来年に起これば凄い事になる。しかし日本は確実に成長しているぞ。逆にブラジルは冬の時代到来か!?フランスにコテンパンに負けそうな予感。
 今日は知人にたまたま遭遇が別々に四人も。これはかなりの珍現象。何かの前触れか。
 ピアニカさんへの手紙を書くも、狂人の手紙になってしまった。あんなのをロシアに送るのはある意味犯罪だ。
【追記】乱歩の世界の掲示板に書き込もうと思ったが、堅苦しいし、初心者対策である意味、逆効果とも考えられるので、ここにその文章をそのまま貼り付けておく。全く日記には関係ないが、ここはいわば《アイナットの世界》ゆえに棄てるのを勿体ない文章も載せておこう。

タイトル【怪奇実話「経験則の癈サイト」】
何やらこの際だから、ナーバスの理由。怪奇実話「経験則の癈サイト」を挙げておきます。 それほどナーバスになっている理由なのですが、自己反省も関係しています。今は他の人に譲渡した形になっている某人気漫画の平均(250/日)サイトの管理人を、去年以前にしていたのですが、いくらネット上の知り合い?とは言え敬称無しが増えてくると、初心者までマネしだし、最終的には書き込み文句そのものが荒れてしまってそれで嫌になって、サイト運営を止めたわけです。こういう経験があるので、必要以上にナーバスなわけです。
不特定多数の人が訪れるサイトでは、そういう荒れる要因は残念な事に、あっさり連鎖してしまいます。ネットの常識が現実同様だと言うことが全く浸透していない上に、この連鎖では荒れるスピードは驚く程早いものなのです。
ゆえにこの私の経験則上、長期に渡って、不特定人の参加型Webサイトを続けるコツは、妥協を許さぬ恐ろしき鉄の管理だと考えております。その際、太い線になるのを防ぐため、小さい点の時点で管理人が人格削るのは宿命として諦めるまでです。


2001年6月2日(土)
 コンフェデカップの日本の強さに関心。あの世界の16強に入りそうなカメルーン相手に内容で上回って勝利するとは、まさに興奮である。これはますます来年が期待できそうだ。当面は、全然主力でないとは言えブラジルのプライド崩しと、決勝か準決勝で当たりそうなフランス戦が楽しみって、ところか。アウェイ大敗の敵討ちが討てるかどうかがね。


2001年6月1日(金)
 狂喜乱舞、まさにそれが相応しい。残念ながら、ドキドキしながら見に行くといくら周辺番号探しても図書館の棚には無く、それではとカウンターで次の予約をしようとすると、誰も借りていないようなので、恐らく準備中であったのだろうが、データーベースで検索すると、出てきた項目。まさにそれが凄いのである。この30万円超の本をデーターベース上では貸し出せる棚に置こうとしている方も方だが、実物見て並べる段になると、多分閲覧専用に変更されるような気もする。しかしそれでも全然構いはしない。下手に学生なんぞの家に持って帰ると、恐ろしく汚れるスピードが速くなるし、返さない輩が出る可能性もある。そもそも私もその候補になりかねない。紛失扱いで、二度と本が借りれなくなってもその価値がある。なにせ限定200部のあの本だ。貼雑年譜、まさか学校の図書館でお目にかかれようとはこれをキチガイ見たくに喜ばずにどうせよ、と言うのか。それにこの学校では普通乱歩本すらも借りるのは、私+数人くらいなもんだ。ほとんど独占、ニヤリ。とにかく早く拝みたいものだ。データーベースの意味不明のミスとかで、恐ろしきぬか喜び、というより絶望にさせるなよ。
 ああっ、もう之より他の日常ごとき、何も書く気がしないな。とにかく何気ない「乱歩」検索から始まった驚喜という話だけで終わるとしよう。最近前に検索した時は無かったから、恐らくどこかから確保してきたのだろうか?


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