2001年8月30日(木)
昨日は住吉大社と淀屋橋の適塾。しかし適塾は傑作なことに、迷って界隈をグルリと廻っている内にやっと見つけるも、ちょうど閉める所。私はいつでも行ける場所ゆえ又今度行こうと思う。気の毒なのは連れであった。で、その連れは今日の朝に去っていった。
で、本日は久々に大学図書館へ行き、ん万円の本読みと、ん十万円のコピー計画など。たとえばの話、30万円の本の全頁400枚以上コピーすることは阿呆だろうか?否であると思う。で、の1/4をまず・・・・・・。いや、これ以上は言う訳にはいかない。関係ないが、図書館は物凄く少なくてよい。異様に静かだ。
「HomePC+NET」十月号も送って戴いた。これも「乱歩の世界」の紹介を掲載してくれたからだ。掲載紙をくれる出版社はありがたい。
Linux、LANの認識は出来たと思うが、WinNTマシンと繋がらない。これが出来ないとサーバーにならないではないか。もう少し暇な時に格闘しよう。インターネットで情報探して。しかしコマンド打ちの方が早くて使いやすい。
2001年8月28日(火)
さて、朝二で初めての路上運転だった。それほど恐怖感は無かったが、いやはや久し振りなせいか、発進が下手くそで焦った(爆)。それにしても路上運転している私自身は少し奇妙な場違いな感覚がした。
インターネットの検索で西宮市立図書館には随分良い本があることを知り、昼過ぎにごく近くの市立図書館分室に初めて行ってみた。小さい子供が多かった。いや子供ばかりだ。我ながら場違いに思える半分子供の遊び場だ。まぁ、ともかくとりあえず中央にある獲物を取り寄せ予約しておいた。
そういえば、普通誌の「タウン情報高知」九月号のホームページ紹介コーナーに《乱歩の世界》が載り、関西に戻ってきた時には既に雑誌も送られていた。PC雑誌以外では初の雑誌掲載(昨年の日経新聞というのはあったが)なので少し嬉しいことである。今度、紙媒体で紹介してくれた所をまとめてみようと思う。
2001年8月27日(月)
昨日はダイエーで賞味期限の長い食料品を大量に買う。しかし売り尽くしセールのせいで、狙っていた例の机が買えずいやはやである。安かったのに。前は金がなすぎて買えなんだよ。
さて、今日は午前中は給湯器の交換の業者現れる。前のが倒産会社のせいで交換だったのだ。今まで水風呂に入っていたのはある意味仕方がなかったからだったのだ(爆)。でも涼しい気分にひたれたのは事実であるよ、君。確かに非熱帯夜の夜みたいな日に入るのは避けていたので制限的不便はあったが。ともかく3時間半の交換修理の末にようやくまともになるのだった。おかげで早起きさせられたのは言うまでもなく、睡眠時間は短かったので終日夕方に昼寝するまで眠かった。またその3時間半の間に昨日買ったTurboLinuxの本を読む。その後昼過ぎ自動車学校の予約を入れに行く。あとは、そのTurboLinux6.0をIBM機にインストールして、インターネットの実験まで済ませた。しかし予想以上にこれインストールだけならWindows並に簡単だ。いやWindowsNT4.0やWindows3.1よりは、トラブルも下記の物だけと、遙かに簡単だった。同じUNIX互換OSでは、FreeBSDのインストールにはずいぶん苦労したが(但しこれは専門本無しだったせいもある。それに文字だけのコマンドでカーネルなどの設定をするのは骨折れる)、ターボリナックスはGUIということもあり比べ物にならない位簡単だった。ただなぜか肝心のLANカードを認識しない。それとなぜかマウスの右クリックが利かない(元々壊れてたのか?Winを消したせいで確認出来ない〔汗〕)。これらは課題だろう。LANはPCIとISAの二本差しのせいだろうか。一本抜こう。どうせハードディスクが推奨(2GB)以下の1.8GBなので交換しインストールし直す予定だ。(既に残り領域が少なすぎ)。いや他のスペックもギリギリである。Pentium133MHzで、メモリ32MBでは、X-Window Systemが滅茶苦茶重たい(例えるなら、少し大袈裟だがi486SX-33MHzのエプソン98互換機でWin3.1を動かす位の重さ)。この三者、3000円ずつでMMX-Pentium300Mhzクラス、中古旧メモリSIMMを+64MB、中古ハードディスク3.2GBくらいパワーアップすれば随分使い物になり、サーバーでも、クライアントとしても実用レベルで十二分のパフォーマンスを発揮出来るだろう。そういえば、これならプリンタとスキャナ繋いでるだけの第一サブ機PC-9821V7と部品交換すれば実現出来るな・・・。あっ、でもCD-Rもこいつだから弱体化は苦しいか。
ところでいきなりだが、実家に帰っていた間に、体重は私のまともな値(53.5)に戻った、とりあえず安堵だろう。
2001年8月25日(土)
本日西宮に復帰しました。復帰まで十一時間(爆)
10時1分に古賀駅(地元)から快速→10時52分に小倉駅着
10時54分小倉駅から鈍行→下関駅11時9分
11時12分下関駅鈍行→12時21分に小郡駅:この電車冷房利いていたか不明扇風機もなし、暑い車両でいやはや。
この間、親の弁当で飯を食う
12時54分小郡駅から快速(実質広島周辺のみの区間快速)→17時58分岡山駅
17時59分岡山駅から鈍行→19時6分相生駅:込んでいたので、この区間唯一30分程突っ立つ。しかし10時間座ると、たまには立てて良かったか!?
19時11分相生駅から新快速→三ノ宮駅に20時10分
三ノ宮で夕飯、その後、阪急で西宮市の我が家へ21時10分頃帰還。
というわけで、古賀〜三ノ宮2300円+阪急代260円でお終い。
しかし帰った早々の地震にはビックリしたぞ。京都のM5で、私には震度3だったらしいが、四階なせいか、短期間の一瞬ながら、結構ガクッと揺れたのだが。あまり心臓に良くない。
おっと、飲み物がないので買いに行こう。23時50分の出来事。
2001年8月9日(木)
ムーンライト山陽に乗り込むまであと僅かだ。急いで準備しないと。
2001年8月8日(水)
大阪市立中央図書館へ行く。《文學時代》のチェック。甲賀三郎全部コピー、と言いたい所だが、金が足りず(爆)「座談會」は断念。元々300円しかなかったのが爆笑である。現在の所持金86円。明日は金降ろそう。いや今日降ろそうと思ったんだが、タイミング悪く。
2001年8月7日(火)
午前中から学校へ行くも、頼んでいた文学時代アッサリ25万円だから、と断られ、何やらカルシウムゼロなせいか頭に来た。最近イラついてばかりだ。まぁ、それはともかく五時位まで学校。文学時代は府立図書館にあるみたいだから、今度行こうと思う。幸いスルッと関西のラガールカードはまだ1500円近くあったはずだ。
六時から八時までは自動車学校で学科二つ。肩が重い。なお、技能は全部キャンセルにした。ブランクが空くが、どうせ空くということで仕方がない。
肩や首がゴキゴキボキボキ鳴らしたいだけいつまでも鳴る。これはかなりヤバイのでは(汗)
関係ないけど、7月20日の「海の日」の意味を昭和18年の東京朝日新聞で発見して愕然とした。日本人のあまりの右翼ぶりにビックリせざるをえない。明治九年に明治天皇が明治丸で青森から函館経由で横浜まで行った日が7月20日。まぁ、別にこれは構わないのだが、問題はこの日を「海の日」に制定したのが昭和16年ということ。しかもこの「海の記念日」、昭和18年の新聞を見る限り、「海の戦士」やら「船の功労者」を表彰する日で、いわゆる戦時中の、伝統的大日本魂をもって、戦意高揚の日であるようだ。制定年が昭和16年と言うことからして、最初のコンセプトは同じとしか思えない、海軍が作りだしたような記念日に間違いなかろう。で、何が言いたいかというと、日本政府は、なんちゅう日を休日として目立つ復活をさせるんだ!、最初「海の日」って無理やり休日増やしのために作りおってからに、とか思っていたものだったが、実に大東亜戦争寸前の夏からスタートしていたとは、いやはや、と思ったわけだ。このような国の行く末は期待出来ないから、私はこんな期待出来ない国に頼らないで、自身で勝手に高パフォーマンスを発揮出来るよう、より頑張らねば、と思うのだった。そうしないと、無能、無責任、怠惰、迎合主義者どもばかりの烏合の国になっているだろう二十年後のこの国に合わせていたら、悲惨なことになってるのは間違いない。しかも当然アジアの目は冷ややか、力落とした必然で、アメリカにも見捨てられ、おおっ、これは亡国だ(爆)
2001年8月6日(月)
原爆記念日だ。最近の小学校でもありがたいお話は聞けるのだろうか、と少し気になる。
修了検定&仮免学科試験合格。何とか出費を止める事が出来た。ばんざーい。しかし多分両方とも結構ギリギリだと思われるんだな、これが。何と言っても、合格発表はかなりドキドキしたからね。とにかく助かった。初路上は帰福かつお盆前の今週木・金の六時から八時の予定、と書きながら思った。帰るムーンライト山陽は金曜の0時数分発じゃないか。ということで、金曜の予約は明日学科行く時にキャンセルしないと。いや、この際、離れ小島現象を阻止する為、木曜もキャンセルすべきかもしれないかな。もしそうすると、初路上は月末になるか、まぁいいか。
ちなみにご褒美は吉野屋並だった(爆)。280円以降、三度目・・・・・・。
外付けモデムの調子が悪い。手持ちの二つとも悪い。突然死するか、最悪信号音が鳴らなくなる。もしかしてRS232-Cだったけな、とのケーブルが悪くなってきてるような気もするが。
2001年8月4日(土)
午前中に自動車学校の補修に行っただけ。身動き取れぬ。
2001年8月3日(金)
しばらく怪奇探偵「ふりかけ生活」で日々を過ごそうと思う。いや、幸いスライスチーズがあったので、今日はチーズ飯もあったし、調理済み品2つとベーコン少々とキャベツとレトルトカレー1つはあるものの、後一週間、ふりかけ主力には違いない。
落ちたぞ。落ちた。修了検定に落ちて、一万円損したみたいなもんだ。最大ブランクを空けたのが問題だったらしい。確かにあれでは落ちる。で、また受け直さにゃあ。我が貯金よ、二万円は少なすぎ、おかげで爆笑生活。友人の言だが、矢吹ジョーと闘える資格は余裕である。まぁ、こう書くと心配したくなるかもしれないが、別に死にはしないし、月初めだから生活費はあるにはあるのでまだ問題ない。とりあえず来週月曜に再チャレンジ。しかし落ちるのは情けないなぁ〜。迷える子羊は迷いっぱなしだな。
「乱歩の世界」が10万部という普通のPC雑誌(HomePC+Net)の秋の読書サイト300に紹介されることになった。今まではホームページ紹介専門誌だったが、今回は普通誌ということで少し嬉しくもある。もっとも載る量はいつもの如く微々たるものだが、見本もくれるようだし(笑)。とりあえず10月号を楽しみに待つ。
2001年8月2日(木)
今日は友人Sと大津の三井寺と、宇治の平等院に行った。18切符のボーナストラックを使う。同じ関西でも計算してみると、利用金3000円近くだから得した事になる。そもそもこのボーナストラックは・・・であるし、更に得だ(爆)。8時10分から22時過ぎまで。
ウイルスメール率非常に高い滅茶苦茶怪しい添付ファイル付きメール4連発+ネズミ講メール。ソネットに紹介されたせいだよ、絶対。(笑)
2001年8月1日(水)
下記の金を納める。他実家に帰るようのムーンライト山陽の指定券入手など。時間がないのでこれだけ。
2001年7月30日(月)
稲造不足である。修了検定前の学測を受けたわけだが、二点足らずで否、まぁ全く勉強無しでは上々だろう。本番の仮免テスト前にはちゃんと勉強しよう。で、稲造不足はここである。それは修了検定の代金がなかった(爆)。この日は情報処理試験の代金で既に稲造を使っていたのである。
2001年7月29日(日)
朝8時半くらいに帰る。とりあえず久々に背中を床に付けるという意味で横になる。と言っても、28日の朝5時半〜6時くらいに日比谷公園のベンチでゴロリとなったが、この時は寒くて鳥肌が立った。とにかくこの日は足手自体は問題ないが、根本の腰痛い、肩痛い、という状況。もちろん爆睡+昼間しばらく起き+再度夕方まで寝た。まぁ、帰宅をずらすと、明日がこうなるわけで、平日は潰したくはなかったわけだ。東京では、朝5時〜6時半、新橋駅〜朝飯を食う(松屋)〜日比谷公園(少し休憩)〜有楽町。7時頃、一応池袋・乱歩邸裏のマンションの非常階段?に侵入し、最も近いと思われる位置など2.5階、3.5階、4.5階から乱歩土蔵を見る。8時台に駒込の六義園、旧古河庭園の閉まった門を見た。案の定9時からだった(笑)。歩き距離2キロ損か。9時に上野駅で友人の某君と待ち合わせていたので、その後、なぜか本郷の東大、旧寛永寺、野口英世の像など。これも随分歩いた。しかしXXな東大を観る羽目になるとは。とは言え、春田能為の出身大を観るのも悪くないとしておこう。赤門は一般的寺の門みたいで、小さく大した門ではないことが判明。11時〜12時くらいまで再度旧古河庭園へ。夏に観るものでもないが、まぁ、2年前にいい加減な文章を発表した経緯があるので一応の感慨はある。まぁ、ここは秋がお奨めと言えるだろう。薔薇+紅葉だ。12時半くらいに新宿で食い、その後友人は三鷹で降車するのだった。まぁ、どうせ近いうちに関西に寄るらしい。で、1時半に小金井集合で乱歩命日墓参り9人オフ。その後5時頃から新宿で1次会及び2次会、でその途中で抜けたのでした。ちなみにアルコール類は超微量しか飲まず。
2001年7月26日(木)
何とか一回オーヴァで技能教習第1段階で見きわめを貰う。これはよく思う事だが、教官による、イラつく奴や妙に焦らせる奴ではペースが乱されるからだ。この前の奴もそう言うタイプだった。16回してどうしようもない奴は2人で3回。ともかく金ないので最低限の延長で済んで助かったと言うべきか。第1段階残りの学科を今日明日で取る予定だ。今日の分は一つで、残りは明日で終わり。そして学則、修了検定と来週中に済ませたい限り。問題は修了検定だな。
さて、明日は久々のいよいよ18切符による東京への慌ただしい旅がスタートする。幸い台風も明後日の方向へ行くようだから安心だ。乱歩の命日オフの行方は如何に!?
昨日クラブの同輩から驚くべき報告を聴いた。偶然とは恐ろしいもんだ。就職活動の話。
そういえば、「乱歩の世界」が雑誌に収録。4度目、いや5度目だったろうか。もはや感動も薄れたっぽい。次は「甲賀三郎の世界」収録を目指したいものだ。あるいは英語版を、って無理すぎだが。まず完成度を高めねば。
2001年7月24日(火)
大阪市営地下鉄にちょっと久し振りに乗る。
18切符をようやく買う。東京行きはとりあえず準備OK。
疲れまくってるのに、学校へ行く。夕方なのに道中最悪の暑さ。今日の暑さは半端でない。やはり水風呂宣言。だけど、水もぬるい。
2001年7月23日(月)
突然だが、金曜日の日記は撤回する。と言うか、丁重に電話で詫びを入れた。やはり最初から辞めるつもりののらりくらりでは勤務は出来ないし、失礼だろうからだ。というのも。確かに月収10万のバイトは魅力的だが、最後の暇生活を長期バイトで潰すのは勿体ないという判断に傾斜したのだ。実は既に気にしていたのだ。面接時から随分経って連絡が来たので、判断が傾斜気味だった。しかし金もいるのも確か。なんとか短期バイトで何とかするしかなさそうだ。とりあえず登録制でお茶を濁すつもり。有り余る時間は情報処理の学習+探偵小説の研究もどき+他資格取得学習で埋める予定。ああっ、でも勿体ないなぁ。買いたい物の予定は来年に先延ばしか。ただ資格代などは稼がねばマズい。
2001年7月21日(土)
テスト完了。近所の住宅地で道に迷う。どこだ、ここは。夢か現か状態であった。夕焼けで方向がわかって良かった(爆)。
2001年7月20日(金)
相変わらず水シャワーだが、何やら慣れてくると随分気持ちいい。異和感もなくなってしまった。プールでもないのに、長々と水と戯れるのも面白い。お試しあれ。
宝塚市に行った。月曜からバイトをすることにした。某レジャー施設関連のレストラン兼ホテルのフロントである。結構稼げそうだ。暇な時間は減るが。
2001年7月19日(木)
先ず昨日の出来事だが、水シャワーである。どうも給湯器が完全に沈黙から目覚めないのだ。さすがに夜には冷たかった。京都の生温い水がこういう時には懐かしく思う。とにかくこの点は頼んでおいたが、あと一回は水かも。昼間の水浴びにしよう。
本日のテストだが、出来たとは確言出来ないまでも、まぁ、マシだろう。その後、昨日に続いて車に乗った、昼一。しかし次の見きわめをクリアー出来るのか、これは、と思っている。
2001年7月17日(火)
今日のテストも最悪である。約束守れよ、教授。出すと言って出さないのは酷いぜ。
夕方は自動車学校で学科一つ。
梅雨明け後、雨が降り出した。まぁ少しは暑さがマシだから良い面もあるのだが。そういえば、最近は冷房を入れてはいないが、私はドライモードにするか、設定温度は27度あるいは26度にしている。少々効き目が弱い時もあるが本末転倒に寒くなるよりはマシであるからだ。
それに電気代対策でもあるのだが。
2001年7月16日(月)
今日のテストは散々であった。中間の専門はまぁ大丈夫だろうが、一般教養二つがかなり適当である。
小泉総理を見ていると、ライオン宰相と言われた浜口雄幸首相を思い出す。江戸川乱歩や甲賀三郎のエッセイでも好意的意味で名前を見る浜口雄幸だが、銃弾を受け、その傷が元で死んでしまった。とまぁ、それは結果であるが、彼は井上準之助蔵相などともに金解禁など一時的に痛みを伴う景気回復手段を訴えつつも圧倒的人気の首相だった。そう痛みが来るまでは。当初から一時的な更なる経済冷え込みは民衆も経済界も分かってるはずだった。ところがフタを開けてみると、彼等はそれに堪えられなかったのである。挙げ句の果てが、浜口首相は凶弾に倒れ、そしてその傷が元で降板、すぐ亡くなってしまった。元々経済対策のこともあり、海軍軍縮条約の調印で総帥権干犯問題などで海軍にも睨まれていたから、軍部も万々歳。浜口の次の同じ民政党内閣の若槻時代で満州事変。そして更に次の政友会内閣の高橋是清蔵相の浜口・井上の長期対策を滅茶苦茶にする目先の政策への転換。以降は書くまでもないだろう。ああっ、現在の小泉首相の単純支持者の半年後〜二年後程度の動向は如何に!? (注意:記憶と私見だけで書いています。思いっきり真に受けないように(笑)。それに私は基本的に現段階では、まだ小泉支持者です。密室の低次元政治に戻さないためにも、自民党に拘らずに各種改革は断行して頂きたく存じます。そう言えば、関係ない、いやなくもないが、某授業用に外務官僚 對 田中眞紀子外相についてのレポートを今月中に書かなくてはならないなぁ。一応なんか忘れないようにしなくては)
2001年7月14日(土)
八時に、とある電話が・・・。
さて、我らが日本であるが、米に対してはしっぽを振るほどの従順な友達関係だが、韓中には傲慢な態度を露わにする友達関係であるらしい。もちろん教科書問題で完全に言いなりになれ、とは云わないが、日韓中で互換性ある歴史認識を持てるように努力をすべきではないのか。例えば、韓中が日本の教科書のエラーを指摘するのと同様、恐らく韓中の教科書にも、日本に対して物凄い誤解を生む文章があると予想されるのだ。この辺りを上手く協議出来ないわけがない。そもそも日本の学校教育は近代史をあまりにも軽視しすぎている。最近はよく分からないが、難解私大は近代史が主流である場合が多いのに、センター試験ではほとんど出ない。まるで避けるように、そしてその結果が近代史、殊に昭和史無視である。根本的に日本の歴史教育は教科書以前の問題だ。まぁ、結局のところ、日本政府のアジアへの傲慢は、双方の国民が迷惑を被るだけだ。
日記再び。朝3で運転、後輩に偶々会って一寸ビックリ。その後に直で学校。しかし思いの外人間が多く(実は今日からテストスタートだったらしい)、探偵小説の研究は断念せざるを得なかった、迷惑な話である。
もう一つ、サッカーでのドーム批判論を再び少しすると、雪や雨、強風、理不尽な水たまり、灼熱などなどの自然環境を無視して、超快適状態で試合をすると、国内ではそれでいいかも知れないが、間違いなく海外での試合で負ける。温水プールしか知らない人が遠泳でいくら世界新記録を出せても、いきなりの海では間違いなくほとんど泳げないはずだ。ドームは単純に一定の環境でしか生息出来ない悲しいモルモットを擬似的に生かす場所にすぎないと思われる。これが四日の日記に書いたゲームの可能性を減退させる以上に非難すべき点であろう。サッカーはサーカスや某スポーツもどきのような興行ではないのだ。観るものの利便などを最優先しては腐っていくしかないだろう。
ちなみにこの日は浦和の快勝。浦和の小野も次回が最後、フェイエノールトでの活躍とその後のステップアップを期待しよう。しかしこれでロッテルダムも日本人観光客は増えるのかな?
今思いついたことだが、ドームと言えば、日本の野球だ、そこでメジャーに行った日本人を考えてみる。すると、意外なことに外国で活躍出来る法則はサッカーと同じと見えて、ドーム出身者は皆無なのである。野茂、吉井、新庄、イチロー、伊良部、長谷川、佐々木いずれも空の見える球場出身者たちである。巨人、日本ハム、ダイエー(、近鉄、中日、西武)はいない。柏田・・・というかもしれないが、彼は巨人の1軍ではほとんどないので、この例外は認められない。また、野茂と吉井は近鉄だが、彼等は大阪ドーム以前の在籍者であるので当然無関係だ。果たしてこれは単なる偶然だろうか。なかなか興味深い符合ではないか。ドーム育ちの体質ではメジャーに行こうとするパワーも減退させているのではないだろうか。えっ、単に金のない球団出身者しか米に行かないから、ですと。まぁ、それも一理あるのは認めるが。
2001年7月13日(金)
いやはや電気代が高い。冷房のせいだろう。いやこの暑さのせいだ。近い将来もこれ以上地獄にはならんだろうと安易に考えているかもしれないが、2010年にはこのペースならば、最高気温四十度の夏、最低三十度が当たり前の夏季になってるやもしれぬ。四季の消滅もあり得る。夏の延長化+春秋の消滅である。十三日の金曜日の悪夢は現実を観るか!?
2001年7月12日(木)
例のごとく朝一教習。しかしあと5回でクリアー出来るか怪しいかも(汗)。その後大学で二限を。昼過ぎには再び自動車学校へ行き、学科二つ。
ああっ、来週からテストですな。しかしテスト前の授業は酷い。学生の質が圧巻的に低下する為、喧しいのだ。とりわけ一般教養。図書館についても同様で、低俗なクセに席取るわ、うるさいわ、で鬱陶しくなる。我が図書館の恥だが、エレベーターに今年になってこのような張り紙が現れた。《エレベーター内で暴れると止まりますので注意》。これは恥以外の何者でもない。実際アホが実践したに違いないからだ。いやはや、私が言うのもなんだが、低俗すぎますぞ。同じ大学の人間として恥ならば、同じ年代としても恥であり、同じ人間としても恥であり、つまり人類全体の恥である。ゆえに同じ年代のアホを論ずる時に、世代の近い普通人の責任みたく云うのは御免こうむるとは云いたい所だ。
2001年7月10日(火)
オートマ教習。ああっ、なんて楽なんだ、クラッチがないというのは。
今度は我らの親愛なる友達のアメリカ君は核実験禁止条約からも離脱するらしい。さすがは我らは親分格の友達だ。そもそも銃をもって銃を制す。つまり圧倒的殺人銃から身を守る為に銃を常備するこの親分国家は、その延長線的考えから恐怖の核ミサイルから身を守る為に核ミサイルを持っているようだ。ソ連という最大のライヴァルの消滅があっても、我らが友達のアメリカ君は圧倒的想像力を駆使してありもしない仮想敵国を創りだす。ああっ、子分たる我らも、そろそろそのエゴに呆れかえるかも知れないぞ、心せよ。世界最大のならず者国家は親分自身である事に気づくかも知れないのだ。ブッシュよ、君の現在及びごく先しか視野に入れない行動にアメリカ国民は賛成なのか!?
2001年7月8日(日)
久々にウイスキーを少々賞味。やはりキツイ。
2001年7月7日(土)
諸々で脳髄が疲れている。
本日、7時半起きで運転。とりあえず第1段階、技能学科共に上手く行けばだが約2/5完了。しかし私の部屋は四階にあるのだが、朝テクテク階段を下っていると、二階の通路に人が倒れていたのでギョッとした。幸い恐るべき血は流れていなかったが、ンなところで爆睡するな、と思うしかない。ちなみに猫も自転車置き場の上で毎日のようにグデンと爆睡しているので、最初一瞬死体に見えてしまった、いやはや。それが首輪ある猫のすることか。
DSLは諦めムードだ。さすがに速度調整などで金をかけると、例え直っても半年で移動する私にはコストパフォーマンスが悪くて話にもならないことになってしまう。運がなかったと思って諦めよう。予定通りPC/AT互換機はLinux実験機+PC-98で失敗した部品活用機にでもしよう。たがが5000円。
2001年7月6日(金)
昨日とほぼ同時刻に起き、朝風呂後、予約していた朝2の運転教習+朝3の学科へ行く。電車で行った。というのも、その後、そのまま直で阪大へ行ったからだ。しかし最大の目的は残念ながら断念せざるをえなかった。まぁ、それでも最低限の目的を達したのだった。
2001年7月5日(木)
7時半起き。睡眠時間6時間。無敵の健康生活で、いつものように予約していた朝一で運転教習に行く。その後阪大に行こうと思っていたが、やはり一応テストも近いので、授業受けに自分の大学へ。結局19時半帰宅。しかし帰りに夕飯の材料買いにスーパーに行った帰り自転車を忘れていて、歩いて帰り、取りに行くのが面倒だった。我ながら間抜けだ。
関係ないが突如パンツが裂けるように破れたゾ(笑)
2001年7月4日(水)
6時起き。睡眠時間4時間弱。で、朝一で運転教習す。とりあえず朝一だと、その後の活動計画がスムーズに行くのである。予約も取りやすい。帰宅後、阪大図書館などに電話。やはり身分証明書だけでOKとのこと。明日あたり行くとしよう。ケースがロックしてあったPC-330-6577JB4についても電話すると、金曜に戻る予定らしい。しかしロックして売るなよ、これからは、と思うしかない。しかし相手もアホだ。5000円の商品に往復3000円以上の送料を当然に向こう持ち。まぁ、私も面倒なことになったに変わりはないので、迷惑千万だ。それから10時半〜17時くらいまで自分の学校へ行ったというわけだ。
話は変わるが、サッカーでドームは止めてもらいたい。天候条件を常に同じにすると、サッカーの面白さが半減するばかりである。雨の中の試合はそれなりの条件になり、その予期せぬ要素が弱いチームのチャンスを増やす場合もあるのだ。あるいは水たまりや強風、雪のケースもである。こういう自然の平等を奪い去り、常に同じコンディションっでのみの試合にするということはゲームの可能性を奪うのみで、まったく馬鹿げているとしか云えない。ということで、札幌ドームと屋根が開くとはいえ、悪条件を否定する大分スタジアムは全く下らないものを作りやがったな、としか思えないのである。
アメリカ政府の環境無視には腹立ちを通り越している。何というエゴだろう。そもそもアメリカには環境問題ということを考える頭はないらしい。あるのは省エネ=パフォーマンスは従来と同じ時だけだ。つまり彼らに普通の省エネの概念はあり得ない。そして現状と自国の発展しか考えないのである。そもそもこの夏の暑さを考えよ!毎年のように過去の平均気温を上回っているではないか。それをアメリカは経済発展のために去年すらも二酸化炭素排出量を余裕で増やしている。彼らは現状しか考えず、あるのは大国のとてつもない傲慢だけだ。私は小学1年生の時から、最大国で、しかもなぜか皆が大好きなアメリカは、全く好きではなかったが、やはり傲慢な国だということが関係しているのだろうか。考えてもみよ、アメリカのしていることは破滅への道である。そして破滅の影響を先に受けるのは、海に面した小国だ。恐るべき悪魔。さぁ、日本よ、アメリカ抜きで京都議定書を批准せよ。地球包囲網でプレッシャーをかけ、アメリカに恥を自覚してもらうしかもはや道はない。
2001年7月3日(火)
7時起き。しかも睡眠時間6時間と、ようやく正常になった。で、朝一で初の自動車運転。まぁ、こんなもんだろう、程度の手応え。+学科を一つ。その後、JR西宮駅で、ムーンライトながらの指定席を取ろうとするも、往復とも満席・・・、で結局臨時大垣夜行で東京に行くしかなさそうだ。次に、コープで買い物で姿なき妖精対策+食糧。これで家に帰ると、12時くらいだったので、しばらくして学校へ。今日はゼミ。あとは5時に帰宅。しかし朝早くに起きると異様に一日が長い。さて、明日も朝一で運転だな。
【追記】そういえば、散髪してスッキリした。ようやく鬱陶しさから解放されたのである。
2001年7月2日(月)
朝から夜まで学校に滞在。この日、偶然に会った知人三人。なぜか同種の偶然は重なる傾向にあるようだ。朝睡眠三時間でそれ以外に全く寝ないと、さすがに執筆の23時は眠すぎる一時だ。ふぅ。時間がない、忙しすぎである。私は決して一部知人が言うように暇ではないのだ。昨日は暇だったけど(汗)、とにかくやることは山積している。
2001年7月1日(日)
物凄く暇であり、そして体もダルい一日。
昔のちゃらんぽらん日記録
2000年6月〜8月の日記/2000年9月〜10月の日記/2000年11月〜12月の日記/2001年1月の日記/2001年2月の日記/2001年3月の日記/2001年4月の日記/2001年5月の日記/2001年6月の日記