ちゃらんぽらん日記 Ver 2.19

2001年9月


2001年9月30日(日)
 あわわのわである。
 関係ないが、一昨日オランダの某編集部から英語のメールが来た。当然ながら返事を英語で書いたが・・・・・・。しかし最初の英語版サイトを見た人からのメールが一般人でないとは。まぁ、ヒット数も雀の涙程度だが(笑)。


2001年9月29日(土)
 よもや大学のクラブのOB名簿修正を手伝わされるとは!


2001年9月28日(金)
 シチューが食いたくなったので、クリームシチューを自作した。しかしシチューの元に牛脂の文字が、少し迷ってしまったではないか。まぁ、脂に異常タンパク質はなかろうと判断する。もっとも二年前から食ってるんだから、今更それほどナーバスになっても仕方がないのだが。ただ牛肉を買う場合はオーストラリア/ニュージーランド産を第一候補にし、アメリカ産が第二候補になるだろう。なぜなら英国の世界的検査で安全度が圧倒的に高いからであるが。愚かな日本はこの検査を断っているのは言うまでもなく、国産の安全神話という幻想が、また一つ砕け散ったことになる。そもそも安全神話なんて、意味不明な都合のいい非論理的な言葉を作り、危機管理を考えないのは愚の骨頂である。まるで非論理神懸かり的な戦前の社会の如くに。
 それはともかくおかずを含めて飯を自炊したのは、チャーハンを除いて、かなり久々。しかし野菜を余らせたくない為、全部使いたいから、異様に野菜類は入れすぎになる。特にニンジンは本当は1本十分というのに(爆)
 それとロト6を3週間分2つずつ購入。考えてみれば、昨年の今頃は現実絶望感を植え付けられたことから宝くじでも当てなくてはやっていけない、とか阿呆なことを考えて初めてロト6を購入したのが思い出される。今回はただ何となく買ってみただけだが、まぁ、期待せずに木曜を待とう。
 自動車学校は金を追加しないと。ふぅ、月末で助かってたりして。
 私の人生最大の悪夢について、少し書こうと思ったが、今日は疲れたのでまた後日と云う事にしておこう。


2001年9月27日(木)
 喉は治るも、やはり少し風邪気味だ。それとこの日は髪を切った。この日、最悪だったのは新梅田シティの店が四年前に潰れていたことだろう。恐るべきは連れであり、ペテン師だ。まぁ、そのバチは当たっていたが(笑)


2001年9月25日(火)
 久々に学校へ行った程度である。あの本のコピ−計画はとりあえず完了した。
 基本情報処理の午後の問題が難しい。もう残り一月を切ったこともあり一応本腰を入れた方が良さそうだ。
 それと昨日今日と少し風邪気味で、特に喉が痛かったが、もはや過去形になりつつあるようだ。


2001年9月24日(月)
 さて、本日正午頃に二日ぶりに帰宅。我ながら足を中心に体がだるく総じてしんどかった。で、本日したことは特に書き留めるようなことは特にないので、土日について簡単に書いておこう。
 この週末はわが母と姉が京都の親戚の家に現れたので、私も付き合うことになった。で、土曜の朝に京都へ向かう。この土曜はその母と姉と母の姉の夫婦と私の5人で鞍馬山〜貴船山。恐るべき山道である。翌の日曜は、母と姉と私の三人でまず相国寺へ行くも彼岸のせいで拝観出来ずだったが、その日の京都新聞にも載っていた金閣の大書院襖絵等をその相国寺境内にある承天閣美術館で特別公開中だったので、最悪の事態は免れた。しかし続いて行った人形で有名な宝鏡寺は拝観お断りで、いやはやである。近くにあった妙顕寺は何も見るべき物はない。続いて幸いだったのが、妙蓮寺がガイド付きだったこと。その次が本日メインの大原三千院。ここもまた山奥ながら、土のように恐ろしく歩いた訳でもないのだが、とりあえずメインだけに全体に美事なものだった。蛇足までに帰りのバスは満員+京都の悪夢と言うべき恐るべき渋滞でこれもいやはやであったのをつけ加えておこう。あとこの昨日の日曜夜に私は帰る予定だったが、その後の六地蔵行きなどで結局断念せざるを得なかった。ということで、最初の月曜部に繋がる訳だが、結局、母及び姉の親戚宅を出ると一緒に私は私で帰路に着いた訳である。


2001年9月21日(金)
 いきなり寒くなった感じだ。わが部屋では正直ようやく半袖で適温だが、外は上着が必要である。しかもこの日は雨・・・。
 運転は相変わらずXXだ、いやはや。


2001年9月19日(水)
 ちょっと久々に学校へ行った。ほとんど人がいないのに、偶然、院の先輩に遭遇した。
 関係ないが、昨日セブンイレブンのガラスが粉砕しちた。といっても大袈裟なものでもなく亀裂+位のものである。バケツには割れたガラスが入っていたが、あれはいったい何だったのか?
 狂牛病対策などで、農水省の低俗ぶりにはどうも信用がおけない。なにせあの農水省、前に英国が狂牛病の疑いのある検査を各国に出した際に、唯一無下に断った理解不能なことをしている。しかも肉骨粉の輸入も最近までEU諸国からし続けていた程だ。いやはや、である。大本営発表がお好きらしい、相変わらずこの国家は。しかもこの経緯でその危険性を予測出来たはずなのに、こんなことになるとは思わなかった、らしい。どういう脳内構造をしていることやら、としか思えぬ。恐るべきは、起こらないことを祈るだけで、起こってしまったら、どういう風に迅速に対処するかを、何も考えている風がないところだ。マニュアル主義の限界がここにある。マニュアル主義は対応方法が書いてあれば強いが、彼らの言う、起こるはずがないこと、つまり今回のことや原発事故などにはどうしようもないザル対応になってしまう。ならば、提案しよう、そのマニュアルに、理論上起こるはずがないことも、無駄かもしれないながら、記載しては如何か!少なくとも、海外で起こることなら、皮肉的に言って、優秀な日本人なら大丈夫だ、とか、わが優秀な機械だから大丈夫だ、とか意味不明な理屈で、起こる訳がないこと、に加えるのは言語道断である。他国で起こる事は、決して特殊でなく、日本でも起こりうるということを肝に銘じてマニュアルを作成せよ!情けないことにマニュアル主義者は、マニュアル無しの臨機行動では、圧倒的に、マニュアルにそれほど元々頼らない人に比べれば、劣る。そう考えると、ますます重要事項だとわかるはずである。何度もお案じ事を繰り返すのは愚としかいえない。
 readme.exeというファイルが送られてきた。つまり今回の恐怖のウイルスだ。とりあえず、気をつけましょう。ワクチンソフトは最新で。
【追記】このウイルス、IE5.01及びIE5.5SP1以前のOutlookExpressの場合、開いただけで感染してしまうようです。MSに関係ないメーラーでは怪しい添付ファイルを捨てればOKだと思います。もし、OutlookExpressが止められない人は、早急にIE5.01SP2かIE5.5SP2にバージョンアップするか、あるいは先日DL出来るようになったIE6にした方が賢明です。あるいは根本的にMSソフトは狙われやすい上にMSはセキュリティーが根本的に甘いので、他社製品を使用することをお奨めします。なにせ、感染すると、自身が知人にウイルスをまき散らすことになるので最悪です。
【再追記】詳しくはここここを参照すべし。やはり私は正しいのだ。MS商品を使わず、インターネットにネスケとモジラ、メーラにshurikenなど、しかもPC-AT互換機依存ウイルスにはPC-98で無効。そういえば、大学のパソコンもブラウザとメーラーはネットスケープを標準にして、特にMSのメーラーは封印されているが、これも当たり前。セキュリティアップのなのだ。


2001年9月17日(月)
 初めての自主経路を初めての夜七時の運転でこなす。しかし予約が異様に最近取りにくい状況だ。
 あと、来期のクールの代金を振り込む。そういえば、そろそろウイルスバスターの更新代金も近かったような気がする。私の場合は、ウイルスバスター98で始まり、今更新中に出る来年初頭までには、ウイルスバスター2002へのアップも出来るだろうが、NT4がサポート外にならぬことを祈る。いや、PC-98の完全不対応、つまりオフィスXPなどMS製品のように、なぜか妙な機構で無理やり使えなくすることは止めて頂きたい物だ。


2001年9月16日(日)
 とりあえずセッティングの続き、あまり進まずだが、長い電話線で繋いだ。
 自動車学校はセット教習、しかし日曜の昼間は交通量多い、路上駐車多い。


2001年9月15日(土)
 この御時世なのに、友人と焼き肉を食いに行く。980円食放題70分であり、肉はもちろん、生野菜、デザート、アイスと十分に満足を得られた。
 パソコンディスクが届いたので、早速というか、殆ど帰宅後の11時前頃から1時間かかってだが、とにかくメインマシンのみセッティング。今までの机と反対側の、窓際に置いたのだが、問題発生! 電話線がまともに届かない(笑)、辛うじてパソコン机を動かしたら、ギリギリ届いたので、応急的に妙なポジションのパソコン机である。明日にでも電話線の長いやつ2本買いに行かねば。LANケーブルも2本長いのあったけな、とも思っていたりして。まぁ、あとはそれを除くと、この机にAT互換機のLinux機と、それに繋げるプリンタを持ってくればOKである。


2001年9月14日(金)
 東大阪の府立中央図書館へ。実に初めての東大阪市。コピー代委託で25円は高いよ。あまり必要はなかったから三百圓で済んだが。
 合衆国事件だが、未だに今後が読めない状況だ。しかしやはり報復するにしても、戦争は戦闘員同士にして頂きたいものだ。初めてテロなり戦争で大量の非戦闘員を殺されたアメリカはあまりに一方向へ興奮しすぎている。もっともABCニュースなどで被害者の声を耳にするとあまりの悲劇に直接的に無関係の私でさえ涙が溢れてくるのだから、ある意味、無理な相談のかもしれないが、無差別にイスラム系を迫害するやり方は、第二次大戦時、敵の中でも日本人系だけ強制収容した当時と何も変わりはしない有色人種差別だ。このあたりは憎しみの対象を単純化せず、ピンポイントに絞って頂かなければ、報復時、報復後に最悪の歴史通りの憎しみと憎しみがぶつかり合うことになる。


2001年9月13日(木)
 学科を二つで、これでセットの一つを除き、退屈な学科は完了した事になる。まさに今週の計画どおり!あとは技能を頑張るだけだ。
 パソコンディスクを購入した。ずいぶん前からキーボード格納部が壊れた今のでは作業効率が悪いし、雑誌を積んで応急的に使っているせいで部屋が汚くなる。届く土曜日が楽しみである。なお、現在の机もこのまま維持し、間接的で、用途を特化したサブマシングループを形成すると思われる。しかしますます部屋が狭くなる、いやどうせ収納出来ていなかったのだから変わらないかな?


2001年9月12日(水)
 今日は東大阪に甲賀三郎などの調査に行こうと予定していたが、どうも行く気がせぬので延期する事にした。結局ニュースばかり見ていた。
 ある意味、冷静になって欲しいと思う。ある程度の犯人特定後に当事者への報復攻撃は止む得ないかも知れないが、これを大義名分に、いや犯人の特定に失敗するなどして、それを隠す為と、世論の後押しで、所謂ならずもの国家を事件に関係・無関係無視でことごとく無差別殲滅しようとすることだけは止めて頂きたいものだ。ましてや一般市民を攻撃するのはもっての他である。目には目で、という残酷さが米国世論に上がらぬのを祈るばかりであろう。
 さて、テロがあっさりと旅客機をミサイルの如く使用できることが判明した訳だが、わが日本は大丈夫だろうか?果たして米軍やら自衛隊は特攻化した旅客機を区別して打ち落とせるのか!? いや、それ以上にピンポイントで命のミサイルで狙える事が判明した以上、最大の問題点は原発である。この状況下では、核ミサイルはもはや不要だ。放射能は目指す場所にあるのだ。そう、今まで大きな事故はないから大丈夫、という、だろう運転的な発想が日本にはあり、そこには「かもしれない」の対策はない。何せアッサリ絶対に120%あり得ないことだと神話のように考えているから、もしそれが起こっても、右往左往するばかりで言い訳のように、理論上あり得ない事だから仕方がない、と責任はまさに不明に、いやはやでは済むまい。
 最悪のシナリオは、第三次世界大戦だが、それよりも現実的に恐ろしいのは世界同時株安地獄の世界恐慌である。その面でも世界人民は冷静でいなければならない、と思う。まぁ、幸い欧州市場は早くも下げ止まったようなので安心だが。


2001年9月11日(火)
 危険事故の非常識な下らないシュミレータと、学科3つの自動学校生活。昼を挟んで4時間も受講したのは初めてであった。
 狂牛病患者が日本にも遂に現れたようで、脅威としか思えない。元々牛肉なんて自分では滅多に買う物ではなかったが、如何せん外食という物があるし、潜伏期間2年以上の恐怖もさながら、この狂牛病の感染についてもまだ判明してない所も多いだろう。なにせ最近人間に感染すると蛾判明したばかりである。ともかくやはり脅威である。しかし恐れていたとおり、訳がわからない家畜の餌から感染したと言うことか。
【追記】キチガイじみたテロ事件。もはやコメント出来ぬが、悪夢である。これが破壊の恐怖の始まりでなければよいがと祈ることしか出来ない。


2001年9月10日(月)
 最悪の濡れ鼠である。それは学科二つの自動車学校の帰り道、台風は遠いというのに強風強雨だったのだが、自転車の私は、最後の傘、三段折り畳み傘が先ずボキッと折られ、それでもその傘を差していると、じきに強風にやられ大破!、それから3キロほどを雨に濡れっぱなしであった。まさに最悪だが、まぁ、帰り道だったのが救いだろう。帰って風呂に入るのだった。しかし軟弱軟弱っ!と叫び出したくなる程のわが折り畳み傘の軟弱さ、とにかく明日にでも新傘買わないとどうしようもないのだった。


2001年9月9日(日)
 ダイエーに買いだめに行く。ちょうど新装開店セールだったので、食糧などは2000円台で済んだ。ついでに余りに収納が苦しいので、ちょうど800円だった三段ボックスを買う。しかし2つの買い物袋+このなかなかの重さのボックスを自転車で持って帰るのは、買い物袋から物が落ちないようにする絶妙なバランスもあって、少し難儀した。最後近くに明治のマーガリンがかごから落ちてしまったくらいだ。まぁ、マーガリンだから良かったが、卵だったら悲惨だったことだろう。
 どうでもいいが、最近またくそ暑くなっている。今日なんて、最高34度である。どういうこっちゃ!と憤るばかりである。最低も27度くらいで、私の部屋の至っては32度あるようだ。おかげで昨夜と今日は冷房の世話になった。なにせ中途で起きてしまい、とても寝れそうになかったからだ。確かに台風のせいで、外に出ると風が吹いて涼しさは感じるが、わが部屋では通用しないのだから仕方がない。明日はどうやら最高気温は30度未満になるようだから一安心である。


2001年9月8日(土)
 昨日は校内で、縦列停車やらをしたわけだが、それは案外簡単に終わり、本日はカーブの多い甲山登りだった。まぁ、これも坂道なだけである。あとこの日は学科を一つ。そして来週は残りの学科を一気に取るプランを立てている。
 自動車学校で車と学科に2時間あまり間隔が開いたので、夙川界隈の中央図書館へ行った。広さは大したことがなく、つまり開架分は少な目だが、閉架所蔵分が異様に多い。あと西宮砲台と芦屋の谷崎潤一郎記念館にも行こうと思ったが、時間不足で取り敢えず断念した。
 私にはもはや関係ないが、わが倶楽部の夏合宿は北海道への四泊とのことだった。余談ながら値段も安めのようだ。それに今年は一回生の新戦力が随分多いようで、これまた結構なことである。
 思いつきで書いているせいで順序は適当だが、西宮市立図書館はK分室にPC-9821を利用していて妙に嬉しかった感覚を覚えているが、中央図書館でもPC-9821で制御である。機種はPentium200MHzのPC-9821Xa20(96年製)だった。そういえば、大阪府立図書館の中之島図書館ではこちらは検索機にだが、PC-9801BXだったかを利用していたと思う。これはi486の33か66Mhzだったと思う。ちなみに西宮のタッチパネル式の検索機もNEC製だ。ただ中身がPC-98なのか、PC/ATなのかは確認出来なかった。とにかく制御ソフトなりがPC-98専用だと思われるので、西宮の次のマシンも今のところ最後のPC-9821といわれるPC-9821Ra43になることを祈るばかりである。そもそも我らが構造改革無くして景気回復無しの小泉首相もPC-9821ユーザであるらしいのだ。さすがは国の経済を考える身、というより小泉氏の場合は右翼だからというべきかもしれないが、アーキテクチャーが国内製マシンを利用している。NECはニーズに合わせたパソコン作りを目指しているそうだが、ならばPC-98を復活させるべきではないかと思う。このままいくら売ってもろくに儲からないPC/AT互換機を大量に売っても、パーツが全て外国製で組み立ても殆ど外国なので日本経済は廻らないし、なにしろ他のメーカーとの差異は全く見られなくなる。それこそ外部のデザインだけの差異だ。確かにPC-98はアメリカ製アーキテクチャーのAT互換機ではないので、設計などの問題で値段が高くなる上に、MSのOS最後がWin2000という問題もある。しかし現に色々な企業で未だにPC-98に依存しているのである。それに潜在的ユーザーも多い。なにせ嘗てのシェアが圧倒的に高い。つまりホビー的意味でも、ある程度は売れるはずである。PCがAT互換機のみにならず多様性に富むことを祈るばかりである。それにPC-98アーキテクチャーはDOSでのハードウェア的日本語の処理に長けていたりするが、中国やら2バイト文字圏で力を発揮する余地がある。となるとその意味の発展もあり得るのではないかと思う。そもそもゲートウェイが日本撤退したり、IBMが日本のパーソナル部門を委託に切り替えるなどしたのは、なぜか!それは儲からないからである。他とは違った内部構造のパソコンがMac以外にもあってもいいはずである。日本製のアーキテクチャー、いや非アメリカ製アーキテクチャー最後の雄だった、PC-98アーキテクチャー、復活してしかるべしであろう。


2001年9月6日(木)
 成績回収、だが案の定、爆な成績。結局秋にゼミ以外で4単位残ってしまった。しかし民訴の4点って一体。ミスプリ?嫌がらせ?謎である。


2001年9月4日(火)
 再びの大阪市立図書館。初めてのマイクロフィルムであった。とりあえず閉館20時ギリギリまで調査を進める。まぁ、大した成果はなかったが。
 なお本日は自動車学校は無し。


2001年9月2日(日)
 最近、毎日のように偶然後輩に出会う。今日は自動車学校に先日入ったという某後輩がいた。で、運転の方は、変な教官だったが、31日に比べればそれでも随分マシだった。嫌味なだけで、指導になっているからである。
 関係ないが、最近サーカムが届いた。
Hi! How are you?

I send you this file in order to have your advice

See you later. Thanks

という文面で変なpifというファイルが添付されていた。多分2度目のウィルスメールである。


2001年9月1日(土)
 昼間に2時間運転。今日の教官は良かった。連続で同じ人だったし。
 ああっ、間違えて昨日の日記を殺してしまった最悪である。アップもしていなかったし。
 とりあえず思い出して書いてみると、朝に連続運転で、一方が最悪教官であり、指令しない遅い、のくせにタラタラ理不尽な文句を言う。不愉快な運転タイムだった。今日みたいな場合や、昨日のもう一方では、運転中コミュニケーションが成立するし、それだけに面白いのである。所がこの最悪氏はブツブツ文句を呟いているのである。さて、不愉快になるのが当然であり、必然むかついてくるので、運転が荒くなる。今後の為に自動車学校に怪文書でも出したくなる、というところ。あと、書いたことは、昨日のチャーハンの美味さだ。米粒の独立、フンワリした食感。某番組通りに作ると異様に上手く出来上がったのだった。これぞ生活の感激。ちなみに昼間は学校へ行った。


昔のちゃらんぽらん日記録
2000年6月〜8月の日記2000年9月〜10月の日記2000年11月〜12月の日記2001年1月の日記2001年2月の日記2001年3月の日記2001年4月の日記2001年5月の日記2001年6月の日記2001年7月〜8月の日記


旧日記(1999年前半)はこちら。

私の履歴書はこちら。