ちゃらんぽらん日記 Ver 2.1a

2001年10月


2001年10月31日(水)
 10月も遂に最後である。アッと言う間もない速さとも言えよう。
 俺が立ち去らなければ、先へ進めぬ見知らぬ男が妙に視線で訴えていた。しかし俺はその程度では動じぬもの、こちらにもやらねばならぬことがある。そう簡単に道を譲る訳にはいかないってんだ。哀れな視線は断続的な物から継続した安定した物に変わる。何となく愉快だったので、俺は用が済んでも動かなかった。これは愉快だ。やっこさん、イライラしてきてやがる。許してやろう。俺は去った、やっこさんも去った。気の毒やっこさんのここの用事は一瞬の物だったようである。だが、俺は悪くない、やっこさんの口の沈黙が悪いのである。俺なら必ず丁寧に、一瞬で終わるからどいてくれ、と言うだろう。って、そういう俺も荒んだ奴だ。ああ、愉快。
 食糧を買うと、豚肉が1グラム1円相当だった。これは安い。結局ちと高めの人参3本より安かった。昨日のご飯が大量にあるので飯を作り、五臓六腑に染み渡った。
 最近、情報処理試験が終わった事もあり、JAVAの勉強を一応復活させ、入門書の残りは今日ようやく通読したが、どうも間隔が開きすぎていたせいで、少し基本書式を忘れている感もある。ゆえにもう一度サッと読んでしまおう、と考えている。その後、JAVA入門2、C++と順調に進めれば良いのだが・・・。
 そういえば、会社からの読書感想文課題の本をまだ購入していない。Linux関連の読み本等から選べたのだが、早く買わなくては。もっとも〆切は来月末なのだがね。
 最後にホッとした事を一つ。それは久々過ぎる浦和レッズの勝利。降格だけは止めてくれ〜、と俺は叫ぶ。しかし降格のライバル・ヴェルディに来たアニマウことエジムンド、奴が日本に来るとはつゆ思わなかったぜ、なにせ奴はリオのカーニバルマニア、少し前だが、これに出るために欧洲のクラブチーム在籍時に、チームの大事な時に勝手にブラジルに帰るという放れ業をやらかしていたように思う位の我が儘男なのだ。大体暴れている姿が有名。年を取って少し人間が丸くなったというのだろうか。


2001年10月30日(火)
 ええ〜、私ことアイナットは今日の日記を廃棄した。なぜと言うに、発表するにはあまりにも低俗な恥を曝している。これでは私にも似合わぬ愚行となってしまう。ということで、せいぜいがゼミに遅刻したと書いておこうか。しかしこれでは、あんまりに面白くないとも思えた。
 とそういう困った時である。まさに天啓とも言うのだろうか、私はこの危機を救う一つの代換案を思い浮かんだのだった。それは最近ご無沙汰の我が仇敵ニミチカ氏関連の事である。思わず、目立たぬ彼を表舞台に引き戻してやれ、と茶目っ気が出たのだ。これは相対的強者に許された神の手・・・。まぁ、そういうことで、私は彼の不定期手記から一日分を抜粋してネットの混沌に皆様のお目に曝してやろうかと思う。以下、ニミチカ氏のパソコンからクラックした最新データである。お見苦しい点もあるだろうから、嫌になれば読むのを止すのが良かろうかと思う。所詮はニミチカ如きの悪文である。なお、全ての責任から、公開者の私は免責されるものとするので抗議は受け付けない。おっと、ニミチカからの非難の言葉はからかうのに恰度良いので、彼自身からの怒りの声には耳を傾けても面白そうだ(笑)(以上、アイナット記す)

(以下、久々のニミチカ日記)
 満腹感がこれほど感激的なものだとは今の今まで気がつかなかった。そう、この僕は感動を得た。ここ一週間のウルトラは幸いこの日でもって閉幕したのである。思えば、恐ろしい生活だった。空腹は鬱病を増進させるのみであったかもしれない。しかしこの罰なくしては、僕は自己嫌悪を逃れる術を持たなかったのだから仕方がない。たとえそれが却って足を引っ張っていたとしても仕方がないのである。確かに幻覚と言えば言い過ぎだが、笑い所では食物の夢を昼間に見る事もあった。また視力や脳力、集中力も明らかに低下していた。しかし、だからと言って、どうしろと言うのだ。安易な道を選ぶ事は自己の精神崩壊に繋がるのだ。ともかくも神無月の十月でもこの末ともなると、数神は帰ってきてくれていたらしい。僕はとりあえず自己の無能の生み出す地獄から解放された。自己嫌悪は消え去りはしないが、金銭面では解放された。そう、九月中には終わらせる予定であった自動車学校の話。えっ、まだ終わってなかったんかいな、と言う君のツッコミも大いに当然だ。僕はこの通り無能だ。今となれば、誰もが取る普通自動車免許如き、人より苦労した所で何だ!? と突っぱねる強引な意地もあるが、しかし自分の無能はこれだけで済みはしない。いくらでもあるだろう。これが僕の昔からの劣等感の正体だ。何とか誤魔化す、人に負けない別の道を探さねば気分が晴れぬ。それにしても、気分の安定には短時間物に過ぎなくなるのだ。劣等感は永続的だが、優越感は芥の如く儚い短期間。
 なお、まだ最後の本試験はある。これはのんびり受けようかと思う。今少し後悔しているのは、本籍地が未だにXX、これはある意味、阿呆であったかもしれない。まぁ、仕方がないが。
 過去一週間の私の生活が如何に愉快痛快であった、記しておくか。一応ながら、これは過去の話で、もはや何ら心配無用であるから、全国のニミチカファンの皆様どうぞご安心頂きたい。その間に使った金は550円・・・、正確には55*円。どちらにせよ、一日80円弱である。これは我ながら金字塔を打ち立てていると言えるだろう。本来なら土曜までのつもりだったのだが、この意識朦朧の二度目は、人を轢き殺したかも知れないのだから、何とも仕方がない。恐るべき集中力の低下と鬱病者の運転、危ない所であった、と苦笑する。集中力が低下しているのは、ある意味、脳内で自己嫌悪の情が渦巻いているからもあった、と思う。
 何かハードディスクの肥やしにするつもりだけなのに、思わずいつものテンポが顔を出してしまっている。これは自己だけの戒めのはずなのに愚かしいながらも少し愉快にも思える。
 ついでだから後日の為に記録しておこう。この昨日までの一週間で食った物。思えば、今日は一週間ぶりにまともなおかずを食べた。先週の火曜夜から考えて、チャーハンの素三食分、レトルトカレー二つ、レトルトハヤシ、納豆三つ、卵Mサイズ十から十五個位、ふりかけ、萎びたキャベツ(今日棄てる位の普通時ならあんな栄養率悪そうな物は食えた物でない)、エバラおろしのたれ、パン六枚、そしてご飯。このうち火曜以降に買った物は、レトルトハヤシ、卵一パック、ふりかけ、納豆三つ入り。これで確か550円だったはずだ。買ったのは木曜だったか?
 空腹が慢性化していると、なるほど卵1つ+キャベツを少し炒めたもの+おろしのたれという副菜にもならない粗食が、異様に美味く感じる。これは一種の感動である。逆にレトルトカレーは今月同じ物ばかり何度も食っているせいで、恐ろしく不味いものになった。いくら飢えていても、半分食った辺りで嫌になる。後は無理やり食う状況。チャーハンすらも昨日のものは不味かった。昨日は作り方も拙いせいもあるが、週に三度はさすがに駄目だ。それに十日に変換しても四回食っていると思われるから、だろうか。それでも土曜日の夕飯、納豆一杯に比べればマシかも知れない。土曜は二度目で、鬱が最骨頂だっただけあり、空腹感はなかったのだが。この日はつまり飯二杯のみ。
 しかし僕の異様な性格の為せる業とでもいうだろうか、思う存分書くと、気分が晴れるから助かる。どうも色々な事情で書けないと、ますますはけ口もなくなってしまうのである。友人に笑い話で話すのも悪くないが、冗談調でも単なる知人には話しにくいではないか。
 ここまで書いてきて、僕は決して悲観していない。寧ろ日本人の幸福さが如何ほどの物かよくわかった気がした。大体550円生活の僕でも、絶対的に餓えの恐怖はない、少々ドンヨリしているだけに過ぎない。しかも自分一人の満足的問題であり、郵貯には大量の金がある。別にいつでも贅沢が出来る状況、しかも自己満足の達成までという非常な短期間だ。これはある意味、おそるべくして幸福である。余裕も感じられる自己ゲームだ。大体自動車学校如きで暗くなるのも、どうかしている、情けない話だ。何とも実にその点が恥だ。
 そういえば、僕は二月末にも超短期間ながら鬱、というか結局あれは精神病だったのか?になったことが思い出される。あれは僕がこの関西で唯一病院に行った時。心電図まで取って貰い、平静を確認しないではいられなかった。精神安定剤と言ったら大袈裟だと思うが、何か其の手の薬を貰った。あの時は何かに怯えていた。朝起きた時、生きている事に安堵する位の恐怖だった。
 鬱には何種類あるか分からぬが、とりあえず次の二種類もあるだろう。他者とは切り離して自己能力に嫌気が刺すパターン、それと他者との関係で自己に嫌気が差すパターン。そういえば、後者のダメージも大小合わせて結構頻繁にある。そう考えると、僕の精神構造は硝子のように脆弱であるのかもしれない。でも自己フォローもしておくと、ある意味では恢復も早い。全てを達観してしまうことも慣れている。ダメージを受ける事自体をナンセンスな間違いであると、考えるだけで下次元の出来事として認識出来る。逃げかも知れないが、とりあえず平静は戻るし、物理的な損もないのだから考えるだけ時間の無駄だと思えるのだ。絶対的合理主義者になりきれば、目に見える損がなければ、それは無闇に考えるだけ、その行為が無駄である、あらゆる意味に於いて、別物を生み出す時間に当てるべきだ。鬱そのものが無駄に近い。目に見える生命の削り滓がなければ、この手は使える。確かにそちらの方がいいに決まっているのである。サッパリ解放するに限る。この手は私は苦手ではない。誤魔化しの歴史。
 なにか日記らしさを失いつつある。今日はここら辺で筆を置くとしよう。


2001年10月29日(月)
 これで遂に1週間の某ウルトラ達成である。しかもそれ以前今月半ば位からウルトラもどきでもあった。ただ、あまり達成したくもない記録だけに、さすが憔悴もしてくるか。しかし考えようによれば、人はまだまだ丈夫である。このよくわからん体験はきっと役に立つ事だろう、と思いこむとしよう、それがせめてもの救いさ、って所だ。
 さて、謎の有する示唆はこの程度にして、差しあたり検閲対象外になる書く事はないかと探すと、それが見当たらない。いやはや、としか云えないだろう。ただ、北米野球のWシリーズのダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンやら昨日のシリングは凄いと思った。特に今日のジョンソン、38歳で160キロ、しかもこの大舞台で完封、ってなんちゅう奴だとしか思えないだろう。


2001年10月28日(日)
 テレビ東京系列のリメイク版「サイボーグ009」が妙に面白い、あらゆる雨の降りしきる雅も何もない一日。


2001年10月27日(土)
 オランダ編集部の乱歩特集は印刷に廻ったそうだ。多分十二月号になるのではないか、と思う。
 今日の日記はこれで止して、以前に書いて、あっさり過ぎるほどすぐ中絶した本格探偵長篇(今、読むとかなり通俗スリラーになるっぽいな[爆])の骨格にもなる予定だった一挿話を以下に貼り付けておこうかと思う。そういう気分だった。なお、中絶理由は言うまでもあるまい(爆)。あと、もちろん単なるフィクションである(笑)。

 気分は晴れなかった。青山にも負け、双葉にも愚弄された。佐川から追い出され、何をやっても裏目に出るばかりだった。闇色が流れていた。命は軽すぎた。ソヨソヨ浮かび上がりそうだ。現在昼間の浅草十二階・凌雲閣。
 このそびえ立つ八角形の近代建築は僕を見下ろしていた。まるで侮蔑しているかのように思えた。しかし最近出来たこの許せない塔を祝福するかの如く人は溢れかえっていた。明治二十四年四月、世間では桜も咲いていた。
 何だか対抗したくなった。悪夢の色に染めてやりたかった。初登を僕は全財産に賭けてみることにした。
 魂を抜かれた屍には食糧は不要である。この際考えるに、貧窮にはある意味助かる現象とも云える。食い物は気色が悪い化け物に過ぎない。ということで八銭をポンと叩き付けた。これで財布は空、と思いつつも一銭銅貨が入っていた。まだ救いはあるのだろうか。それとも嫌がらせの神の悪戯か。
 悪鬼エレベートルの音はこの浅草の喧噪をも、断然うち破る轟音だ。ゴゴゴ・・・・・・ゴゴゴ・・・・・・。だが、この帝都自慢の設備、私の暗鬱には勝てる見込みもない。音爆は僕を微動だにさせない。これが侮蔑に対する返礼であったかもしれないが虚しさは一層に増した孤独感。やはりここは悪魔の巣窟なのだ。ともかく思念渦巻く二分後には満員で鬱蒼としたエレベートルは九階へ大多数の祝福者達を吐き出し、最後に食い滓のような僕はドンヨリしながらも赤煉瓦の踊り場に落ちついた。その際、ツバキも一緒に飛んだかも知れない。
 階段で木造部の屋上に到達。この時点で少し後悔していた。結局悪夢増幅装置に過ぎないのだ。暗い表情はますます暗くなるばかり。この視点ではお目出度い人達の見下す視線に耐え難い。とうとう見知らぬ人達にも愚弄されてだしたか。もう僕の行き場所には鬱しかないのか。
 とりあえず頂上から大東京を眺めてみる。見える見える一望の下に全世界が見えるかの如く錯覚してしまう。だが、今の僕には富士山のうら白き姿も、偉観放つ宮城の全貌も網膜に映る信号に過ぎない。更にはその広大さゆえに僕は圧迫される感じがした。命はもはや風船だ。飛んでいきそうな位軽い。とりあえず僕は踏ん張ることにした。だが、ヤバイ、堪えられない。全世界からの蔑視が降りかかり、精神の鎧にヒビの入る音が耳に響いた。
 天上界が見えた。視界に楽園が! 胸に詰まった陰が虫のように縮こまった。おおっ、世界中の視線から免れたのだ。これは、これは。僕は浮き足だった。もしかしたら生命の風船は僕を天上へ赴かせたのだろうか。
 それは小さな世界だった。今まで見た悪夢のような広大さのない、昆虫の世界を彷彿させるような楽園だった。遍く憂いも小さくなるのも当然である。
 しばらく恍惚していたのかも知れない。ふと、突然何か声をかけられた。僕はヒョイとそちらを顧みたが、そこからは再度何もかも大きくなってしまった。元の木阿弥だ。楽園は消え、鬱の闇が拡がった。
 その英国風日本紳士は突如ゲッソリして地獄彷徨う鬼のようにドロンとした僕を見て、ギョッとしたのかそれから何も言わずにプイと向こうに行ってしまった。何を言ったのか皆目わからないが、呪いの言葉で僕を連れ戻しに来たのかもしれない、ああっ、きゃっつは死神そのものだ。大英帝国の呪いは大陸を超越したものなのだ。
 屍が砕けそうだ。この呪いの強さよ。天上界は単なる白昼の夢だったのか。闇を劈く幻に過ぎなかったのか。僕は必死に探した。富士山からの死の圧迫にも立ち向かった。この敵だらけの凌雲閣。もはや渦巻く悪意に硝子細工は虫の息だった。
「愚者愚者愚者愚者愚者愚者愚者・・・・・・グシャ・・・」
 脳中に大展開を見せ、グルグル廻り続ける絶対嫌悪の呪詛。あとから考えると、この時も頼む、止めてくれ・・・、と如何に願ったことか。  そういうこともあり、再度、蠢く虫が目に飛び込んだのは福音的時宜機会だったように思える。そして気がついた。天国は天に非ず、すぐ直下にあることに。  ボソッと呟きも洩れたことを良く覚えている。尤も僕は土気色の呟きを頻繁に中に漂わせる。そうすることで、脳思念からの解放を計っているのかも知れない。しかしこの時のは違う。ある意味正常な反応。切なる願いであった。
「彼らが羨ましい・・・・・・。混じりたい」
 確かに蚤の国の楽園は、眺めているだけで気分が晴れるもの。でも先程の例のように大英帝国の侵略行為とは常に隣り合わせ。出来れば仲間に入りたい・・・・・・。
 思いきって行ってみようか、とも思ったが、哀しいことに、僕は命が軽すぎるのだ。願うなら楽園は天にあって欲しかった。それならばきっと僕のフワフワした風船はソッと浮き上がり、苦労なくそこに辿り着けるだろうに。
 直下の楽園に近づけない。魂の永遠の平穏、見えているのに得られない、このもどかしさ。
 だからと言って、どうすればいいのだ。このままでは楽園の手前で魔からの風に吹き上げられ、そこには悪意が待っている。もしやこれも罠とも言うか、悪戯と言うか、凌雲閣の仕掛けたものなのではないか。僕の魂を焼いて喰うための恐るべき罠。餌は辿り着けぬ楽園だ。
 ようし、後悔させてやるぞ。虫の王国にウットリしながらも、僕は決意した。後悔させてやる。必ず楽園に行ってやる。そう思うと、何だか闇の中にも僅かなる光明が見えてきたような気がした。目標! 侮蔑感溢れる視線と脳に蔓延る愚者の呪文しかなかった僕の思念に僅かな表領域が生まれだした。生きている実感を久し振りに感じた。
 凌雲閣からの帰路、僕はこの決意への道筋を書き留めておこうかと思った。もちろんこの程度のことでは容赦ない苦しみの陰は決して減りはしない。だが、とりあえず別のことを考える余裕が出来ただけでもありがたかった。そして何か考えていないと、他人の嘲笑う声が振り払えなかった。魂の安息を得、まだまだ生き続けたい。
 
 昨夜寝る前に、ここまで書き上げた。文章というものを書くのは得意ではないが、とりあえず文字を学校で習っていたのが役に立った。これほど学校に感謝したことはない。やはり無益と思うのはいくらかな祝福者だけなのだろう。
 更には僕は昨夜考えたのだった。閃いたのだ。あまりにも命が軽いのなら、単純に重りを持っていけば、雨にも風にも圧倒的な悪意にも負けずに楽園に到達出来るのではないか、と。僕は会心の笑みを浮かべていた。その後の暗黒にも気がつかずに愚かなことだと今は思うんだが、この時はそう思ったのだから書き留めておく。
 こうなって来ると、昨日から喰っていないこともあり、一気に空腹感が襲いかかってくる。一銭銅貨がたった一枚、何とか一善飯屋で飯は食えそうだ。さぁ、行くかと、思った時だった。鬱病患者の僕が云うのだから、これ以上のことはないのだけれども、更に泣き出したいような心境に陥ってしまった。あまりにも愚者過ぎる。 「愚者愚者愚者愚者愚者愚者愚者・・・・・・グシャ・・・」
 一息ついて安定していた精神思念に反響する。愚者の文字列。それが円を描いて、更にその円がグルグル廻り続ける。それはいつの間にかグシャとなり、精神が押しつぶされた擬音をも響きだした。前提が間違えていた。このままでは、もう僕は凌雲閣に登れないのだ。楽園に混ぜて貰うことは勿論のこと、垣間見ることさえも出来ないのだ。あとたったの七銭だというに。
 風呂敷は用意していた。どこかで赤煉瓦や大石でも拾って沢山包み込むつもりだった。この帝都ならば、問題なく、きっと見つかるに違いなかった。  こうなると、家に引き籠もるしかない。家! そうだ、家賃は払ったばかりながらも、再来月の家賃に充てようとしていた布団。これを前倒して売れば、今すぐにでも凌雲閣に登れるのではないか。
 なぁに、仕事口は楽園に接触して精神を正した後できっと捜せる。これは未来志向の勝負なんだ。今後を生きるためには、楽園で浄化されなければ。魔神から埃臭い宣告をされつつあるとは言え、僕はまだまだ死にたくない。そのためには周りからの圧力を極めて矮小化してくれる楽園へ行きある程度療養したいのだ。このままほっておいたら心臓が止まりそうだ。むしろ妙な想念も湧いてきてしまう。電車に飛び込みたくなる時もしばしばだということ位だから、魂の許容量はもう限界近いのかも知れない。実際、楽にもなりたいのだ。そして命の軽さがそれを促進する役割も果たしている。安易に一瞬の快楽を求めかねない。ああっ、全てを超越した極大な衝撃は、一瞬の癒しになるに違いない、と想像すると、思わず想像しボンヤリしてしまう。何とか現在までは白昼夢を振り払ってはいるが、目覚めの要をなす喧騒が無い町に出るとどうなるか、不安で仕様がない。
 話を進めるが、布団は上野界隈の質屋で売れた。家賃も確保して、八銭も悠にある。これで憂慮は晴れた。凌雲閣直下の極楽にも行ける。僕は生まれ変わる最大の機会を得たのだ。
 前提条件を得たと言うことで、とにかくも先ずは重りとなる煉瓦が必要。だから僕はこの日は引き続きその蒐集に当たることにした。だが、その前に一つの場所に寄ることになったので、これも記しておこうと思う。
 幸い目指すことがあるお陰で鬱は引っ込みがちである。その結果による愚者の恐怖もとりあえず裏に潜んでいる。とは言え、気分は晴れていないのも事実。
 特に凌雲閣以来赤の他人にまで及ぶその嘲笑の渦は、そう簡単には拭いきれない。もはや安定した感がある位だ。耳に響いてくるのだ。通行人全てがニヤニヤ笑いながら、愚蔑の眼差しを向けているのだ。しかも中にはあからさまに指さしてゲラゲラ笑い出すものまでいる始末。この辱意を感じながら僕は進む。知り合いに出会わぬことを祈りながらも出来るだけ狭い横町を歩いていく。  上野寛永寺五重塔。僕は質屋から狙い目にしていた。とりあえず今日の内の特効薬は必要である。明日という計画を実行する為には今日を過ごさなければならない。
 寛永寺近くには胡散臭い連中も彷徨していたが、ソロリと入り込み、狭い階段を五階まで駆け上る。一歩一歩に心が自然に躍る。誰とも出会わぬ五重塔。加えての、密閉空間は僕をあらゆるものから包み込んでくれている感じもする温かい匂い。
 しかしそこから覗く直下の景色には少し失望感も感じざるを得なかった。見えてしまったのだ。よりによって照子と朝子達が女学生同士で境内を歩く様子・・・。それには嗚咽感を感じた。天国を想起したのに、実際は恐るべき現実だ。這い回るのは残像思念だ。目の周りにはブツブツブツと蠅が飛んでいる。ここは駄目だ・・・、現実が見えすぎる。それは楽園ではない・・・。
 鬱は却って非道くなった。さすがに幻覚かも知れないが、四方八方から響き渡る悪声雑言、そして屍臭、蛇で詰まった落とし穴、空からは巨人になった箕島が刀を振り下ろしてきた。避けようとしたところには頭蓋骨がへらへら笑っていた。
 布団もない部屋で佐川の妖霊が僕を睨んでいる。壁からは骨の手がニョキと生え、それが蠢いている。ギシギシギシ・・・・・・、僕は耳を塞いだが、骨の手足は耳入ってきた。布団が布団が、布団さえあればこの恐怖から救われるというのに、僕は売ってしまった。
 なぜ? そうだ凌雲閣の極楽から一種の彼岸に向かうんだ。此岸から旅立つんだ。そのための重り、忘れていた・・・・・・・。人間の頭を取ってこないと。髑髏でなくても肉付きでも構わない。明日なんだから、寧ろ重層感ある肉付きの物に限るじゃないか。徒刑場・・・、駄目だ。狩るしかない。僕の平穏のため、嘲笑者を風呂敷に包む。全くいい考えだぞ、とニヤケ付いてしまった。

 朝に昨日の分を書き上げた。あれから首を探しに行った。既に風呂敷に収まっている。照子と簑島の首だ。胴体は池に沈めた・・・・・・。血の池の裏。闇屋にあった安刀で切断。気持ちよかった。血は意外にもそれほど飛ばない物だと驚きもした、スパッとした斬落は大成功だった。二つ合わせて風呂敷に恰度だ。接吻させた頭。僕の優しさが味わえるだろう。しかも僕と一緒に極楽界の小さな世界へ行けるのだ。これほど幸せなこともあるまい。
 さて、最後に此岸最後の仕事としてこれを書き上げて出かけよう。僕が今から望むのは二つの頭の重さで風船に重量を付け、真下に落下させるのである。そこには楽園があり、憂いを超越出来る空間がある。僕がこの先、生き残り真っ当な心を取り戻すためには絶対必要な儀式なのだ。そうしなければ、その内に骨どころではない、首無し死体もが僕を嘲笑うだろう。煉瓦は見つからなかったが、首を得た僕は、風に流されることなく凌雲閣の試練に勝ち抜くことが出来る。逆に見返すことが出来るのだ。僕を侮蔑した天高い塔に復讐出来るのだ。この復讐の結果、あの塔は崩れ去る。灰燼に帰す。きっとだ、僕は呪っている。小さな世界へ混合。僕の苦しみも今日終わる。

「で、なんだい、この意味不明な文章は? 今度の謎々に不可分だそうだが」
 真っ昼間の日比谷公園のベンチは月給取り達の憩いの場所である。そこに二人の青年紳士が座を占めている。別段珍しくもない風景だ。しかしその内容たるは恐るべき物だった。既に掲示した手記を巡っての争闘が繰り広げられようとしているのだ。
 そう長くもないことから、よりじっくり読んだところで、蒲田忍澄がこう返答するのも無理はない。
「ところがね、それが大いに意味が隠されているですぜ。僕等の先代は解き損なって、迷宮入りしてしまったんだがね。どうかね挑むつもりなどは。お望みならもっと詳しく話すぜ。それだけでは尻切れ蜻蛉だからねぇ」
 もっともあの当時は日清戦争直前やらもそうだが、大津事件やらで当局も緊迫していたんだから無理もないが、などと、蒲田が黙っていることをいいことに、前原銀三もいくらかつけ加えた。
 さて、蒲田忍澄が考え込んでいる時間を利用して、とりあえず簡単に二人を紹介しておこう。まず前原銀三、掏摸の常習の男だったが、最近では更生し、蒲田忍澄の道楽に協力もするいわゆる情報屋だ。新聞などに怪事件を知らせ飯を食っている。実際、あまり表舞台には出てこないが、隅田川を恐慌に陥らせた闇の渦巻き事件なども彼がスクープしたものだった。今回の服装は黄色背広で決めているが、特なる奇妙さは眩しい黄色でばかり身を包んでいるということだ。更には黄縁の眼鏡を掛け、靴も眩しいその色なのである。彼の理論に従うと、密かに獲物を狙う場合、最明色で固めておくと、昼間時の太陽光に溶け込むというのである。つまりは透明人間だ。むしろ目立つ格好に見えて、空気になれる。恐るべき秘法である。と、このような冗談みたいなことを常に吹聴しているから、これがまた隠れ蓑に繋がり、逆に不断背広を着るだけで自己の存在を隠せる。二重のカラクリなのである。
 今一方の蒲田忍澄は未だ目をつぶり瞑想して風にも見えるのだが、自称・謎研究者としてこの世にある謎に挑んでは自己解決を付けるのが好きな紳士である。錫杖の上に顎を載せて考え込むのが癖であるらしい。顎がない時は山高帽をクルクル廻す仕草もお馴染みであろう。
「なるほどね。単なる強迫観念に取り憑かれた男の殺人、そして自殺では済まない訳だね」
 狐のように狡猾な眼を更に細めながらも、蒲田忍澄やおらベンチから立ち上がって、錫杖で指さして来る。相変わらず何かとポーズを付けねば行動を起こせぬ奇妙な御仁である。
 薄ら笑いの前原銀三である。彼としてしまえば、古い事件は新聞種にするにもリスクが大きすぎる、ということで、この道楽青年の先生に持ちかけるのである。一種のからかい気分もあるかも知れないが、この事件に関しては、彼の興味も並々ではないのは雰囲気でわかるというもの。
「明治二十四年四月に実際に起こったと言う怪事件は、近いものはあるんだがね。抜本的におかしいところがある。あまりにも致命的にだ」
「それはね」
「それは・・・」
 この時、蒲田忍澄もこれ以上聞かなければ、彼の運命に不遇の一ペ−ジを加えなくて済んだかも知れない。しかし容赦のない時は流れていくのだ。首には首である。
「それは、その日、在りし日の十二階から降ってきたのは、彼の、麻布六郎の首そのものだったということだ。しかも照子と簑島と思われる人物は生きているんだぜ。今でもピンピンしている。つまりラストが全く合点が行かないのだ。しかも・・・」
「そうは言うが、元々あの最終日近くの手記は意味不明甚だしいじゃないか。つまり最終的に錯乱した麻布六郎は自分の首を重りにしたということなのか」
 その意味を上手く解せぬままに蒲田は謎の言葉を吐いたのである。しかしその意味はある意味当たっていたのだから恐慌してしまうのだ。つまりは前原銀三更に曰く所が、次の如くなのである。
 凌雲閣から落ちてきたるのは麻布六郎の首だけでなく、後に佐川芳介と判明した花火屋の主人もなのである。しかも佐川芳介がしっかりと六郎の首を抱きしめていたという。この佐川芳介についてであるが、元は麻布六郎を雇っていて、火薬熟成技術も教えていたらしい。だが、麻布六郎が大暴発騒ぎを起こしたことを理由に解雇しているようだ。その大暴発騒ぎなんだが、ここで少し絡んでくるのが照子なんだ。(中絶)


2001年10月26日(金)
 一時、何かウイルスに感染したかのようにPCの調子が悪くなった。CPUが妙なプログラムで90%以上占有されているのである。ウイルスチェックするも、反応なし。いったい何なんだろう。もしやクラックされているのでは、と疑いも出てしまう。一応NTのパスワード変更・・・。実際ネット接続していない時に、直ったのでよくはわからないが。再現する方法も実は見つけだした。一体なんじゃこりゃ〜。
 またもチャーハン。一週間に何度チャーハンか(笑)。まぁ美味いので良いとしよう。しかし卵3つは入れすぎだったか。って、チャーハンネタは何故か良く突っ込まれるのが、アレだが・・・。


2001年10月25日(木)
 夢というのはやはり精神の鏡と言うべきなのか。美事にも内容までは良く覚えていないが、今朝は少なくとも三つ陰惨な夢を見た。確か、昔の知人にナイフ(カンナか?)のようなものででジワジワ「削り」殺される悪夢。それに爆死する夢。等々だったと思う。
 あまりにXXがXXだから、毎日のように夕方が特に苦しい。思わず白昼夢にXXを思い浮かべてしまう。しかしそれは虚しさを増すばかりに過ぎないのだから、いやはやであろう。まぁ、この程度で根を上げる訳にもいかぬ、というのが実際だ。世の中には更なるXX、しかも終わりの見えぬXXも多くあるのだ。私ごときのほんの少日XX如きで泣き言は言えぬ。
 四限(二週)連続の休講には参ってしまう。「ロシア・東欧の政治」。あっ、考えてみれば、今回出てる授業は、「北欧史」「ローマ法史」にこれと、何故か西洋史系が極度に多い。完全に昔から専門外なのに大丈夫なのか(汗)。
 さて、250円だ(謎)。


2001年10月23日(火)
 昼飯を奢ってくれたO氏に大感謝の一日。
 あとはゼミの写真撮影。
 日曜のは、自己採点の結果、落ちる事が判明した。午前の問題は7割でいいところ8割弱だったのだが、午後の問題7割いるところを、5割を切る体たらく。まさに認識の甘さだった。私は全てに置いて甘すぎるのかも知れない。そのお陰か、最近は絶底調期であり、何をやれども上手くいかない。最悪である。とにかく来年の四月の合格を目指して、午後の問題もちゃんとした勉強をしないと。まぁ、2002年度版参考書が出るまでは会社のくれたアルゴリズム等の基礎的理解のテキストをするが。大体アルゴリズム基礎もまだまだなのだから午後で苦戦するのは、ある意味当然だったか。
 さて、600円の行方を今日から記していこうか(謎)。


2001年10月21日(日)
 情報処理試験に挑むため、神戸市の大開近くのS高校へ。これが午前の問題は大したこともなかったが、午後の問題がえらく難しく、かなり合格は厳しそうな予感だ。とりあえず後でその手のWEBサイトで自己採点をしてみるとしよう。しかし朝から夕方前までの長丁場の試験は久々だったので疲れた、眠かった。
 今日の日本シリーズは非常に面白かった。近鉄には頑張って貰わなくては。しかし近鉄は数試合観ただけで選手を随分覚えた。ちなみに私はパは西武ファンなのだが、とりあえず近鉄が勝った方が面白い。
 米大リーグのプレーオフも面白い。レギュラーシーズンも稀に観ていたのでいつの間にやらマリナーズの選手を15人は空で言えるくらい異様に覚えてしまった。実に日本の球団以上かも知れない。まぁ、観ている試合数も上回っているからだろうが。とにかく朝にあるので、つい他の番組もないことだし、少し空いた時間にチャンネルを合わせてしまうことが多いのだ。
 サッカーはJ2が面白すぎる。特に地方のチームがJ1に上がればもっと面白くなると思う。出来れば大宮や京都と言うより、仙台、山形、新潟、大分が上がった方が、と思う。世界のサッカーチーム、大リーグなどのように、やはりプロのスポーツチームがあってこそ、地方都市の自己主張・存在アピールを国内に海外に大きくアピール出来ると思うからだ。J1の磐田や鹿島が身近のいい例であろう。


2001年10月19日(金)
 これで後は卒検のみになった。やはりコースBの方が長いが楽だ。Aは短いが邪魔者が多すぎる。それと午前中の方が調子よし。
 昨日は薄着では随分寒かったが、今日はまた温かくなっていた。どちらにせよ、いくら何でも夏服はお役御免になるだろう。ただ未だに真夏布団であるが・・・。
 サブマシンその1・PC-9821V7(430FX-60)のハードディスク4.3GBに不良セクタが出た。このパーツは確か98年末頃に今は亡き当時のメインマシンPC-9821V7(430FX-66)用に買って上げたものだったが、3年で少し危険信号が出て来たことになる。4.3GBの物は、これらWin95登場前後PCにとって改造無しの標準IDEで認識出来るMAX値なので重宝。ゆえに悪化せぬ事を祈ろう。しかしこのサブマシンその1、実際の話、利用する時がスキャナ繋げる時くらいしかない。もちろん緊急事態用のWin98SEマシンでもあるのだが。


2001年10月18日(木)
 この日は正午頃、卒業アルバム用のクラブ写真の撮影があった。
 オランダの某副編集長から高解像度の春陽文庫の依頼があり、本を置いている実家に送ってくれ、と連絡した。何も手元にないというに、ここまでやる義理もないかもしれないが、相手が相手であるし、ここはやらずにいられないという心境だったのだ。それに考えてみるにJAPAN誌に私が一応協力した乱歩記事・写真が載り、世界に発信されるのは嬉しいもの。


2001年10月16日(火)
 どうも腹の調子が悪いなどで、今日のノルマ達成出来ず、最悪である。
 今日スタートのローマ法という2限連続授業に出てみると、10名。とりあえず面白そうではあるが、おかげでコッソリ情報処理が出来なんだ(笑)というのも、ノルマ不達成の不健全な理由ではある。
 やっぱり私は劣等宣言である。何かしらの劣等感の悪夢から免れる為に異分野でカバーしようと頑張っている感があるのだ。これはどうも昔からの病気だ。病気がモチベーションに繋がっているというのは、私の異常ぶり、病的なところだろうか。しかも永遠に劣等意識は拭えやしないのだから。
 関係ないが、昨日西宮のアクセスポイントに繋がらず、いやはやだった。メールチェックとかだけするために、余所のアクセスポイントに繋いでいたりして(爆)。勿体ない。


2001年10月15日(月)
 今日の終了でやっとあと一回だ。自動車学校の話。
 情報処理対策も予定通り。テキスト二週目も残りCASL IIのみ。それも明日には終わることだろう。その後は二週目で間違えた問題部分をもう一度やるなどして完了ってわけだ。
 我が大学はキリスト教系なのだが、今日平和学という授業に出てみたら、それがひどく・・・で、・・・であり、いやはやだった。もうこの授業は出るまいと、心に誓う。
 オランダのEK Leidenから例の雑誌JAPAN 10月号が届いた。タイトルは単なるJAPANだった。サブタイトルはPEOPLE, POWER & OPINION。英語で書かれた雑誌である。さすが世界の先進国で発行されているだけある偉力持つ雑誌。表紙は北野武。小泉首相や山県有朋の特集らしき物もあるようだ。(英文だから、ろくにまだ読んでないのね)ニュー・ヨークの紀伊国屋やUNIQLOの宣伝もある。
 しかし関係ないが、手紙の末尾のbest、何のことやらと思っていたが、ちょっと調べて「よろしく」という意味だとわかったのだった。だが、筆記体の添え文、少し解読に苦戦、情けなや。


2001年10月14日(日)
 約100日ぶりにカップ麺を食う。当時の日記に密かに示唆しているせいで分かってしまう所が凄い。では今日は終わり。ってこれだけかい(汗)。


2001年10月13日(土)
 速度に踊ったあと、久々に一人で吉野家で並+サラダ。今の私には物凄く贅沢な食事であった(爆)。
 実家に本などの荷物を送る。内訳はサッカー雑誌と新潮の漫画誌が多数で、他に探偵小説等の文庫本、唯一手元に置いていた漫画でもある某少女漫画の単行本10冊程等。しかし送る宣言後、50日は経過していた。いやはやである。しかも着払いであるし。
 いかん、本日勉強殆ど進んでいない・・・・・・。どうも図書館でないと勉強出来ぬ体質である。困ったものだ。
 IDEのHDD認識制限を解除する+ドライバのない(素人開発を待つ)USBを持つ最後のCバスボードに続き、玄人指向(≒メルコ)からPC-9821最後のストレージパワーアップパーツになるかも知れないCHANPON3が登場する。PC-98でブート可能なUltra2SCSI+USB2+サウンドというPCIが少ないPC-98に取れば福音のような存在である。果たして95年〜96年頃に採用されていた山猫チップセットのPC-98でも正常動作するかが注目される。


2001年10月12日(金)
 決して使用者広がらぬ妙なあだ名を幾つも付ける奴がいて、いやはやだ。反応が遅れるし、しかもそれがベタなのである。といっても、我があだ名、地元に戻ると、いくら自分で気に入っていたと言えども、未だに小1で発明したあだ名やら、中2〜のやつやらを呼ばれるのも(笑)なことだ。これは一生付いて回るのではないか、とも思ってしまう。まさに私は小中は特に圧倒的に本名よりもあだ名で呼ばれていたので、実は本名はど忘れ、どころか完全に忘れ去られていたりして(爆)。
 さて、今日は計画を越える成果。情報処理系試験対策4時間ちょいで80ページ再習である。これで一昨日の70+昨日の50+今日の80で3日で半分の200ペ−ジだ。これなら残り9日でも何とか闘える体制は取れそうだ。
 驚くに値しない事だが、二頭目の狂牛病患者が早くも判明したようだ。まぁ、餌が原因ならば、一頭で済むと考えていた農水省やらの考えが如何にナンセンスか、を分かっているだけに、やっぱりか、という感じだ。武部大臣やらは安全とか言い、正常な牛肉を食っていて何となく滑稽で反感を招いたが、どうせやるなら狂牛病の肉を食っても安全だと示す為に、武部大臣やら政治家や関連官僚たちの直接の子供孫及び知人も交えて、狂牛病に罹った牛の、報道されている危険部位以外の内蔵も含めた牛肉試食会パーティでもやったら如何だろうか。(もちろん真実チェックの第三者の監視付きである。)真意を込めて狂牛肉は安全だと国民に言い切るにはそれくらいの覚悟が必要である。狂牛病の牛は少なくとも100頭は出るだろう。ろくな対策をしていない事を考慮すると、単純に考えて、二番目に見つかった欧州の国(仏か?)あたりと同じペースで増加するのは間違いない。
【追記】厚生労働省の検査では二頭目は否定されたようだ。しかし確か一頭目は英国で検査したと思うが・・・・・・。根本は大丈夫なのか?


2001年10月11日(木)
 夕方、自動車学校へ卒検前学測を受けに行く。どうでもいいことだが、なぜか合格。
 あまりに金が無さ過ぎて、ちょっとした飯付き合いも断る体たらく。イカンと思いつつも貧乏では仕方がない。バブル時の奴で満期が来た郵貯が随分増えたといっても、これは無駄に使う訳にもいかないし、使う気も起こらない。この情況、何もかも自動車学校が悪い、ってことはやっぱり私の間抜けが悪いと言うことか、いやはやである。とにかくまた日雇いか何かで密かに小金稼がねばマズいようだ(笑)
 今日も学校へ行く。なぜか大量に取っている授業中には情報処理の勉強を、コッソリしていたりするが。今日は学測のせいであまり進まず。今(PM7:30)から家でする羽目になった、仕方がないというものだ。昨日70/400ペ−ジ再習出来たのがまだ救いだが、とにかく最低40ページは進めないと、残り10日しかないからヤバイのだ。そのためには例え牛エキスが入っていようと、この食品たちに対してはもう手遅れということで、食うぞ手持ちの加工食品、そして21日まで生き延びてみせる・・・、何か壊れかけている。確かに溜め息も多い。荷物は着払いだ。NHKは追い返せ。携帯のプランは安いのに変更して、1円メールはいいとしても、絶対自分から通話するな。さぁ、米を研ぐぞ。しかしもう一袋あって良かった。ああ、なんちゅう錯乱日記。とにかく見苦しいものには幕を。でも公開はするのだから、ネット上に廃棄物投棄か。
 関係ないが、今日は夏日で異様に暑かった。秋も深まるはず日の夏、十年後は当たり前の姿なのかもしれない。夏日=最高25度の法則が崩れるのも、もはや時間の問題か。


2001年10月9日(火)
 学校に行くと、ゼミが休講なことをすっかり忘れていた。しかも一応登録し試講受けようと思っていた2限分も全部休講で、いやはやだった。こんなことなら自学に学測受け+高速予約に行けば良かったかもと思うのだった。全くその勉強してないけど。図書館ではどうも集中力不足であまり情報勉強進まず、一応はこの日で本一冊分は終わったが、試験までの残り10日でもう一周しないと絶対受かりそうもないとは自覚している。さて、頑張れるかな。とにかく落ちてもいいが惨敗は避けたい。来年以降の負担になるだけだから。


2001年10月8日(月)
 帰宅は翌0時18分、というのも本日は京都での(乱歩の世界)オフだったからである。9時頃起床。11時前の電車に乗る。そして第一待ち合わせ場所の京阪淀屋橋へ。12時前にそこで大江十二階さん、E・キングさんと合流。そのまま電車で京阪五条へ。その車内、大江さんの貴重な本に接するなど色々の談義。キングさんには文庫本九冊貰う。川端五条の少し北が第二待ち合わせ場所で、先ず五条方面からさくらさん、フリークさんが、次に四条方面から松村武さん。最後に登場が留学帰りのピアニカさんが地下出口からであり、ここでは驚天動地はなかった。で、皆が揃った所で、大江さん演出する所の六道の辻など東山方面の迷路街を迷路のように味のある小路を歩き回る。この今回最大の演出趣向もこの辺り。四人目の関東組、玉村妙子さんのお美事なる登場である。これには一同本当にビックリで、まさに、してやられた、と言うものだ。なるほど恐るべき迷路街の彷徨には、この繋げの意味もあったわけだ。とにかく全メンバー揃い、この後清水寺の方へ。昼食はその近くの洒落た店で食事。そしてこの時だ、ピアニカさんのお土産が炸裂したのは。プーチン始め歴代大統領入りのマトリョーシカ、ロシア製板チョコ(このチョコが微妙に味などが違った)、ピンバッジ、ロシア語版乱歩本、加えて私の趣味を知っていた為にリトアニアで見つけてくれていたという「めぞん一刻」のメモ帳(笑)、本当にこれらには感謝のみである。お次は清水寺で、胎内めぐり、これが本当に盲獣的真の暗闇で、怪奇な気分に浸れた。実に実に密かに少し暗闇に恐怖した分、楽しめたとも言う(爆)。後は清水寺の本体も普通に楽しんだあと、茶店で休憩し、八坂神社の方へ。それから四条大橋から鴨川沿いを三条大橋へ。そして17時過ぎに今回のラストイベントの飲み会へ突入し、って例のごとく私は中生ビと雀の涙だけだが、キングさんのポプラ文庫などのコレクション披露、乱歩など探偵小説の話、恋愛談義などで楽しむのだった。最後の方はピアニカさんに見つめられるなどの恐るべき視線に圧倒され(爆)。そもそも私の型を指摘されたのがいやはやで。おっと、この時松村さんから蒼井雄のコピーを貰う。ともかくもこれも22時には電車の関係などで取り敢えずの完了。ピアニカさんが先ず三条京阪の出口へ、その後少ししてキングさんも三条で。残り6人は一応二次会飲み屋に突入するも、私も林檎サワーと食い物の30分程でお先に失礼となり、そしてこの分は奢って貰うというありがたさも味わいつつも、四条河原町へ急ぐ急ぐ。結局、家に着いたのは終電の一本手前で少し余裕はあったが、実はは想定の旧休日ダイヤだったら、西宮北口から歩かないといけない羽目になる所だったのだった。恐るべし改行無しの読みにくそうな楽しいオフ会日記終わり。やっぱり地元オフは楽だった。いや単純に東京行く時が超強行日程なだけか(爆)。


2001年10月7日(日)
 コメの恐怖。米櫃の底に蠢く。は、とにかく今日は暇な一日。


2001年10月5日(金)
 相変わらずの情報処理試験対策など。ただ今日は疲れていた。それにどうも最近胃の調子が悪い。飯は食っても平気なレベルの慢性的な悪さで、激烈な腹痛でないだけマシだが。
 オランダ編集部とのメール交流はまだ続いている。私も先程昨日の返事を書いた所だ。また参考になればよいが。しかし我ながらボキャ貧である。まぁ、何にせよまともなメールは嬉しいものだ。パソコン系の質問メールやらは何か利用されている感じしか受けない失敬な物が多いので嫌気がさしているのだ。というのも先ず9割9分レスポンスが無い。都合のよいサポートと勘違いしているのでないか。更にソフト著作権を無視した要望も多い。これは無視だ。説明するのも疲れるし、逆ギレする阿呆がいるくらいだ。ということもあり、一層温かいメールは嬉しいものなのである。


2001年10月4日(木)
 21時40分帰宅。といっても出かけたのは昼過ぎなので大したことではない。とりあえず「新青年」読み+基本情報技術者試験対応のアセンブラ言語CASL IIなど。これは今日初めて見たがそれほどのことではなさそうだ。やはり問題は他にある。あと、会社から貰った+アルゴリズムの基本のテキストを少し。この分野の私は凡能力を自覚している+ので、とりあえず人より頑張らないとヤバイのだ。とにかく今月21日に少しは闘えるようにしておかなくてはならない。しかし21日乱歩の誕生日に資格試験とは・・・、う〜ん、あれに行きたかった。
 久々の自動車学校は見極め貰えず、かなり金が勿体ない、と焦っている。しかもこういう場合に限って変な教官。高速は遠いのか。とりあえず学測受けとくかな。


2001年10月2日(火)
 とうとう秋学期スタート。ゼミの日である。
 今日オランダにメールを出したが、昨日のメールにあったprintsがコピー的な日本語と違い、著作物を意味してるっぽいのに気が付き、内容を変更。もちろん負担は向こう持ち(しかも返してくれる)だが、それに見合う一、二冊を持ち合わせていないのだから仕方がない。とりあえず出版社(東京創元と河出書房新)の英語版住所と電話番号などを提示し、最初からそちらと取り引きするように持ちかけることにしたのだった。本当に悪いのは、日本推理作家協会が英語版website(このオランダの人はやはりホームページなんて日本語を使わない)を作っていない事はもちろん、出版社も同である事だと言える。これでは探偵小説の輸出は困難としか言えないだろう。
【追記】パソコン内蔵時計の微妙な誤差もあるだろうが、なんと一分後である。それは3日の0時2分。和訳すると、「あなたはとても親切だ。あなたの助けに感謝する。私はその出版社にコンタクトを取るだろう」という返信が来た。とりあえず私は日蘭出版事業の架け橋の役に立てたようでやっぱり嬉しく思うのだった。それにわが英語も余裕で通用しているみたいだし。とにかくオランダで乱歩が有名になる事は嬉しき事である。


2001年10月1日(月)
 昼過ぎから内定式である。というよりは懇親会だが。とりあえず自己紹介後、今後の研修日程など。終了後、非公式に新人で再度懇親して、帰宅は八時前。しかし五月にならぬと勤務地が分からぬとは(汗)。もう暫く西宮だな、こりゃ。とにかくガンバローと思う。
 今(二十三時)メールチェックをすると、少し前のオランダ編集部からの英文返事が来ていた。ちょっと嬉しいものがあるが、とりあえず任務がある。今日は眠いので、準備ししだい明日、英文返事を出す予定だ。相手もネイティブでない分、表現が簡素でわかりやすいのが助かっている。今回は内容が分かっているだけに意味も一瞬で取れた。しかも前はDear Sirだったのが、Dear Inat*** san だってさ(^^)。


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