2002年1月31日(木)
とうとう1月も今日で終わりである。二度寝してしまうという失態を演じつつも、学校へ行き、まぁ、色々する。
もう数日前だが、田中眞紀子には外交能力は無かったかも知れないが、あの幕引きには頭に来た。小泉内閣を積極的に支持してたわけでもないが、これで消極的にも支持しかねる状況だと言っていいだろう。と言えども、与野党共に代わりが見当たらないのが日本の悲劇ではあるが。支持率がどうなるのかが少し楽しみ。まぁ、少しは下がった方が、緊張感も増すだろうかな?
同じく大橋巨泉にも呆れて物が言えぬ。所詮は主張が明らかに違うっぽかった民主党、しかも比例区から立候補した自分が悪いのに、職場放棄と責任転嫁。もうテレビなどで、巨泉の言う政治批判には誰も耳を貸さないのではないか? 議員になる前の巨泉の言う事は社民党以上に左的だったではないか。絶対おかしい、この人は。所詮は単なる海外在住の左の評論家に過ぎなかったのだろう。
2002年1月28日(月)
昼から大学に行き、昼飯+マニヤ本読み+情報処理など。夕方の帰りに食糧を買い物。運良く全品10%引で得をした。しかし降水確率10%にもかかわらずいきなりの大粒の雨にはウンザリするしかない。いくら確か天気予報が当たる確率は80%で、しかも局所的には保証もないとは言え、洗濯物が・・・だと頭に来るのである。幸いすぐ救出したが、部屋が狭いのだから、甚だ邪魔であるのだ。とにかくこれでは部屋が片づかぬ。
では、図書館で一部集団がうるさいのにイライラした結果考えた文を考えながら以下に記してみよう。
人は複数集まれば集まるだけ一人一人の倫理指数が落ちていくウイルス。しかも一度感染するや、その感染速度たるは恐るべき物であるのだ。これは少年犯罪にだけに限らない。大人もそうだ。仲間意識もいいが、それが腐さると、それは猿の群以下だ。正常な自然の命じた司令塔たるボスを失った猿群レベルと言っていいだろうか。あるいは狂ったボスを狂っていると認識出来ぬ構成員。外務省や雪印食品の悪漢たちも少年による集団殺害も似たようなものと言えばそうである。それに身近にも似たような例を見出せると思うし、自身でも思い起こして見ると、恥ずべき事だが、例え小さくても、その低俗傾向は発見されざるを得ない。しかし本来、人は群れれば、より高次元の世界を見れるのではないのか。常に1+1>2になるのではないのか。群の性質により、しかしその結果は出ないのは述べたとおり。その大きすぎる分岐の条件とは如何なるものなのか。考えてみるに、お互いに足を引っ張り合ったり、絶対的世界である外部を無視し、所属集団での相対的地位の確保だけを計るグループは、全体として低俗化するのは間違いないようだ。つまりは集団に所属することで、その集団、或いはその集団に近接した狭い世界だけにどっぷり浸りこむだけに専念し、外部の絶対的指標が見えなくなるというわけだ。そしてそういうグループ同士は容易に意気投合したりして、正常なグループにウイルスをまき散らす。まさに癌化現象。そうなると、悲劇だ。相対的常識や評価しか認識出来なくなるから、恥を恥として理解出来なくなってしまう。罪を罪として認識出来なくなってしまう。となると、理想的に言えば、群社会の発展系として自然と共に育ってきた、本来の人間の姿である常に少なくとも1+1>2の状況になるためには、自身の集団のほんの周辺等の狭い世界だけを見るのではなく、常により広い絶対的世界(コミュニティ)を意識すればいいことになる。つまり一集団の一員と思うのは構わないが、同時に全世界の一員であると、常に意識していれば、例え所属の一集団で相対的に向上しても、イコール一般的な下落に繋がる事を知れば、全く喜べないはずであろう。
2002年1月27日(日)
とりあえず部屋整頓計画は未だ途上であるが、この際だから、物理的に壊れたパソコンパーツなどを一気に棄てることにした(って実験用に置いておく方がどうかしているが)。加えて、取ってあったパーツの元箱やソフトの箱、マニュアル類などでゴミレベル奴はもうゴミになった(頂き物は棄ててないが)。しかしおそらくはまだゴミ候補はたくさんいるはずである。棄てるのが嫌いな私であるが、どう考えても不用品は棄てるとしよう。なお、教科書類はどうしようかと考案中である。保持するか、古本屋かオークションで売るか、実家に送るか、の三択であるが。プリント類やノート断片はこれはと言う物以外は棄てる予定。しかし前に絶対ゴミは棄てても、段ボールに準ゴミがたくさん入ってることだろう、後で漁らねば・・・。
2002年1月25日(金)
ローマなレポートが昼過ぎに完成し、その後、提出しに行った。結局原稿用紙8枚でいい所を20枚書いてしまった。まぁ、多分大丈夫なはず・・・。とにかくこれで単位は取れてるだろう。計算間違いがない限り卒業のはずである。
部屋の掃除整頓を開始したが、どうも片づかない。また不要な古い雑誌とかを実家に送りつけるとしよう。
K・Mさんから、郵送で、入手困難なレア本だろう、昭和17年の甲賀三郎短篇集「音と幻想」を卒業&就職祝いとして、プレゼントして頂き、大変感激。これを感動せずにいられようか。甲賀三郎ばんざーい、K・Mさんばんざーいである。とにかく読むのが楽しみだ。
2002年1月23日(水)
昨日の日記通りに会社に研修解答などを取りに行く。それと幸い研修日程は変更され、卒業式の日は無くなった。
阪神百貨店のおもちゃコーナで、松ぼっくりなモンをゲット。これがかわいいのである。しかし阪神百貨店初めて入ったかも(爆)。とりあえず一ヵ月可愛がろう
2002年1月22日(火)
最後のゼミであり、最後の授業のローマ法な一日。さすがに感慨深い物があった。これで終わりなんだ・・・・・・。
の為に今日は会社研修を欠席届。これは明日一応通信研修の添削解答を取りに行く事になっている。しかし三月二十五日も最後の事前研修なのだが、この日は卒業式・・・。これも明日言っておこう。毎年二十四日だから、今年もそうとばかり思いこんでいた。確認して良かった(笑汗)。今年二十四日は日曜だからズレたらしいのかな?
最後のゼミなのに、伸びに伸びた新年会。出席率はなぜか50%ちょい程度だったが、なかなか楽しい会だった。やはりどう考えても行って正解である。
それとこの日は、リポート提出。西洋史とロシア政治。それなりの自信作である。多分大丈夫だと思うが、さて。特にゴルビーの選挙改革は規定枚数の二倍越の分量な上に、我ながら要点が纏まっているレポートだと思うが、さて。とにかく残りのローマ法、最大の書きにくさだが、ガーイウスを調べて、土曜の昼の〆切までに書かなければ。
次の会社の情報処理・通信添削の〆切も24日なのでかなりしんどい。幸いこの分テキスト学習は完了し、残りはその学習を元に提出するテストだけなのだが。明日解くしかなかろう。
とは言え、レポートさえ終われば、大体暇になるのは間違いない。二月に受けようかと思うテストは最低二つあるが、こいつ等は販売・講義ノートであっさり通る事は間違いない。春も通ったからだ。とりあえず他のも気が向いて講義ノート販売があれば受けるかも知れない。どちらにせよ、二月半ばまでは概ね暇になってくれるだろう。もちろんこの間で三月分も含めて情報処理を一気に終わらせたい所だが。
2002年1月19日(土)
六時半に起こしてもらい十八切符使用で、結局十時頃に天理市へ到着。天理、そこは異質なまでの個性を持った町だった。まるで異国のようである雰囲気。思わず笑いを堪えるのが大変なくらいだ。それほどどこの町も似たり寄ったりの風景な日本において、この圧倒的個性は貴重であり面白い存在であろう。とにかく閉館の十六時近くまで天理大付属図書館で「キング」等を参照。しかしそれとは別に天理は感慨深かった。
で帰宅は十九時半頃だったか。昨日いきなり壊れ、どうやっても完全に火が付かなくなった、しかも火が付かないもんだからガスだけがシューシューとしていてガス臭くなった恐ろしい昨夜今朝のガスコンロだったが、JR西ノ宮からの自転車帰宅途上のミドリ電器で同じリンナイを購入。さすがに四年前と型番は変わっていた。しかしパロマ製が安くてコンパクトで欲しかったのに在庫がないと言われた。やはり所詮ミドリである。しかも値段でも消費税を加味しても天理商店街で売っていた同じリンナイより微妙に高いし(笑)。とにかくこの予期せぬ出費は痛い。しかも今更だし(爆)。まぁ、夕飯にシチューの残りが食えてヤレヤレだったのだった。
2002年1月18日(金)
風邪は幸い完治。天理大図書館行こうとしていたが、起きたのが10時過ぎで断念、いや一応西ノ宮駅までは行ったが、忘れ物で断念確定したのだった。どうでもいいが、前チラッと見たテレビ通りにシチューを作ると何げにその通りに上手く出来た様子。これはよい。
2002年1月17日(木)
この日は朝から頭が痛くて最悪であった。酒を飲まぬ私に二日酔いなどはない。単純に風邪である。合わせてルルを6錠飲むも頭痛は治らなかった。そんなわけだから、学校行って情報処理をやるもあまり進まず、というか目標達成に時間が掛かり、7時頃帰宅と相成った。熱は36.9度であったのが幸いと言うべきか。まぁ、座って作業する分には苦しいとかの影響はない。ややぼうっとする程度だから問題ないのだが。私の事だし、悪化する事もあるまいし。それと西洋史のなんちゃってレポート書き終わり。これで後2つだ。
2002年1月15日(火)
NT環境はほぼまともになった。まぁ、Win2000との繋ぎと言う事でこんな所で問題なかろう。
結構苦戦中(と言うかあまり熱が入らないのか〔汗〕)のレポート三枚対策の本を借りに行くが、戦前(戦中=S18年)のガーイウス「法學提要」、こんな訳物を参考文献に使っていいのだろうか、なにせこれしか無かった(汗)。まぁ、訳だからいいかな。北欧史の本もデンマークでなく、デンマルクだし。
久びさの学校。ゼミ+ローマ法で疲れる。で、8時頃の帰宅である。しかし最後から二番目の受けてる授業の日。木曜はもう無いし。さて、最後にしないためにも、やはり来週の会社研修は欠席届けメールを出すとしよう。そもそも来週ゼミの新年会もあるし。最後の授業。これは欠席事由としては問題ないだろう。友人も推奨していたし。研修はまだ2月3月にも大量にある。特に3月
会社と言えば、情報処理対策もやらないとヤバイ。でもとりあえずこのテキストの苦手系も終わったぽいし、あとは流れるように読んでいけば良いだけだろうか?。しかし力付いてるのかは謎すぎる。維持しかしてないような? いや常識レベルの向上は知らないうちに身に付く物、これは今までの定説だが、さて?。
2002年1月13日(日)
WindowsNT4.0WSの起動ドライブ・クリーン再インストールを試みたが、いまいち調子が悪いままだ。レジストリを無理やり引き継いだのが調子が悪化した原因らしい(汗)。とりあえずアドミニストレター権限を持つ別ユーザーを作って急場を凌ぐ事にした。しかし今サイト作りに使ってるエムエディタも何か変だ(汗)。このソフトも再インストールした方が良いのかもしれない。
この二ヶ月である事に対する考えが180度変わってしまった。これは単純なのか目覚めたのか如何な物だろう。ある意味一般人に近づいた部類だろうが。
2002年1月12日(土)
始まりは引き続き嬉しい絶頂だったけれど、同時に物凄く悲しい日だった。今も悲しい。
今まで無味乾燥だった携帯に、ポスペストラップを装着。一気にラブリーになった。大切な対象。ラブリーと言えば、モンチッチ人形もラブリーだ。ここ最近いきなり二匹目まで。これも涙目。
とにかく明日からは平々凡々な日常が待っている。とりあえず今のやらねばならない事を頑張る事で何とかこ何とか何とか・・・。
2002年1月10日(木)
天気予報を見ると、大阪も昨日から最高気温が二桁にアップしてきていたようだ。この日は私としては日常考えられぬような異様な早起きだった。だから昼寝もした。爆睡だった。朝の関学生とは一線を画していた。なんかよく分からないので、この辺で終わるとしよう。おっと、WinNTの調子がどうもよく無い。今度暇な時にでも、半年ぶり(?)にクリーンインストールし直すとしよう。この際、学生料金で買えるうちに、そして店頭から消える前にWin2000でも買っておくべきかな。
2002年1月8日(火)
ゼミ発表+ローマ法の授業。久々だったので少し疲れた。しかしこの日は異様に寒かった。しかも風が凄い。北海道の時と同じような服装なのに恐ろしく寒く感じるのである。この不思議の謎は? 明日解けたりして(爆)
オランダ雑誌が郵便ポストに。しかも今度は手紙も名刺もない。ある人に進呈することに決めたけど。
2002年1月7日(月)
昼過ぎに学校図書館へ、今月書かねばならぬレポート二種類の参考資料を借りに行く。しかし案の定同業者が既に借りたらしく、ろくな本が残っていない。とりあえず内容見て5冊借りたが。
明日ゼミ発表なので、説明用レジュメを遅ればせながら作成。結局1.6倍になった。読んでみると、1秒で10文字近く読まないと30分で終わりそうもないことがわかったが、何とか読めるようだ。ただノドが物凄く疲れる。まぁ、そのうち日記にも貼り付けてやるとしよう。それが結局8日の午前1時に終わるのだった。
久し振りに情報処理のテキストを見ると、やはり嫌いな分野と好きな分野の差は激しい。嫌いな所ほどやらねばならないのだが。脳味噌は一杯である。明日頑張ろう(汗)。
2002年1月6日(日)
これが本年初めての日記になる。どうぞ今年も読みたい人は勝手に読みたまえ。但し秘かに読んでおきながら、あからさまに知らぬ振りをするだけは止めたまえ。
で、昨日の夜、西宮に戻った。18切符で2001年8月25日とほぼ同じ帰り方である。方言の変遷が少し面白いといった所だろう。
今日は十時過ぎに起床。部屋は、冷気(?)が貯まっていて非常に寒かった。結局五時頃にエアコン作動させてようやく安眠。それまでは布団で振るえていたりした(笑)。昼過ぎに昼食+食糧の買い物に行ったが、自転車のペダルの異様な軽さに驚いた。と言うのも、実家の我が自転車が最悪のパフォーマンスだったからだ。こいつは緩すぎる錆びたチェーンが二度も外れて友人の世話になるわ、そんなんだから漕ぎ心地も阿呆見たく重いクセに進まないわ、しかも結構な距離を走るわで、最低最悪であった。洗濯しようと一階のコインランドリーへ行くも、新洗濯機になぜか100円玉が途中で詰まって入らず大苦戦。10分後、鍵のホルダーで強引に突っ込むと作動した。しかしこれは欠陥商品なのでは(汗)と思った。まぁ、今日の日記はこの程度で終わるとして、以下少し回想
日本海の船旅は低気圧のお陰で行きがけは最悪最低であった。そもそも三時間遅れた。乗船直後の風呂しか入れず。というのも最悪の揺れである。私は瀬戸内海の船しか知らないから油断であったと言ってもよいだろう。と言うわけで三十時間の船旅の半分以上寝ていた。しかも昼間寝ているので、岸に近くあまり揺れない夜はあまり眠れずというのも笑える所だろう。まぁ、これが少し哀しい帰り船でなくて、よかったのかも知れない。
帰りの船は敦賀行きの高速艇、遅れたらムーンライト山陽に間に合わなくなると言う恐るべき計画だったが、こちらは30分早く着いて20時間弱の旅。しかも乗り心地も全然悪くなく、自動車免許の学科が勉強ばかりすることが出来たのだった。
北海道でのクリスマスイブイブ〜クリスマスまでの三日間は2001年までの人生最高の物だと言っても全く過言ではないだろう。深川、旭川、小樽どれも未だに頭に思い浮かべるだにニヤついてしまうのである(笑)。ちなみに札幌は行きがけに駅前を一時間半程度で急いで回った。クラーク博士、旧道庁前、札幌時計台等を観光客に撮影してもらう(こちらも何人か撮ったのは言うまでもない)。それとポケットに入れて落とした手袋を拾った女の子が走って渡してくれた。これは道民親切なりし、と印象づけたのだった。旭川では三浦綾子記念館や井上靖記念館などなど。井上靖は予定になかったが三浦綾子へのバスを反対に乗った終点に近かったので行った(爆)。バス恐るべきである。あとガイドブックで一位の店(ガイドブックを実家に置いてきてしまったので名前が(汗))で旭川チャーシューメンを食わして貰った。とにかく旭川での23と24は記念日、忘れる事はないだろう。12月よ、記念日が多いぞ。雪は本当に美事で、これぞ冬という感じがして、かなり気に入った。やはり雪だるまは無かった。所で最初日、小樽築港駅へ向かう途次、そうマイカル小樽の前当たりだ、で白一面の中、雪を素手で掴んだ時はかなり感動してしまった。七時半通行人は結構いたが(笑)。ともかくこの最初の小樽のマイナス10度も恐るるに足らずで早くも手袋を外してしまったのだ。まぁ、全体的に晴れた三日間であったのも幸いしたのだが、今度は吹雪も少し見てみたい気もする。ちなみに私はスキーすらした事がないので、初の雪世界であった。で、最終日の小樽では小樽運河や北一硝子工房、おっとキタァではなくキタイチであるので注意だ(笑)、はともかく、ヴェネチア美術館、他に博物館などに行く。最後に寿司屋で食べた三色丼、そのイクラが美味で、今まで食わず嫌いで騙された気分になった。しかし私の間抜けな腹はなぜか最後に腹痛になり、正露丸を飲む(笑)。あっ、喫茶店で食したチョコケーキも美味かった。あと手だ(謎)。ということでこの日も記念日にすべきだろう。とにかくこの日で涙の北海道とのお別れだったのだった。
26日の20時に敦賀に着いた私の財布には千円ちょっとしかなかった。とにかく船が速かったお陰で23時過ぎのムーンライト山陽に余裕で間に合って、27日の昼前に古賀の実家に到着したのだった。
28日は免許の本試験を受ける予定だったが、兵庫県と受付時間が全然違って、受けられず。電話で確認して正解だった(笑)。っというか住民票が秘かに七ヵ月前のしかなく根本的にNGだ。いやいや住民票を未だに移していなかった我が愚かぶりだ。とにかく免許は翌月4日に合格して、何とか最悪の事態は回避するのだった。もし落ちれば最低もいい所であったのだ。ともかくも4日の試験場帰りの途中からAT車を宗像大社まで運転してとりあえずブランク合っても大丈夫そうだった。まぁ、しばらく乗る事はないだろう。
あとは二タ日、友人と会った位で、例年の如くの我が一族(少し大袈裟)の正月。来年はどうなるだろう?
おっと、前に書いたオランダ編集部の英字雑誌の"JAPAN"に私の本名がcontributorsの一人として載っていた。送った画像や乱歩本の日本語読みと英訳タイトルも採用である。陰獣をinjuとせずに、injyuhとしているのは私の仕業だ。だって、例として甲賀と古賀が同じkogaでは気色悪いではないか。しかしjyuにしたのは単純に馬鹿な私のミスらしい(爆)。なにせ時間がなかったのだ。この依頼。と言い訳(汗)。しかし結局、この雑誌送ってくれないとは(汗)。まぁ、先月号は送ってもらってはいるが。送ってくれるって言うてたやん、と思った。とにかく乱歩コーナーが見たければ、紀伊国屋の洋書コーナーで雑誌を漁ってみよう。15日くらいに来月号が出ると思うので、出来るだけ早めに(笑)
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