2005年3月6日(日曜日)
いやはや出勤。ジムは明日か明後日かに行ければ行くしかないな。
実は稲垣吾郎、長谷川京子の「Mの悲劇」を全部見ている。最初の方は平凡で面白味の欠ける退屈極まるドラマで実際テキトーに観ていたもんが、ここに来て異様に面白くなってきている。観ていて良かった。今回の佐々木蔵之介の狂気変貌に圧巻。
2005年3月5日(土曜日)
年度末面談に会社に行く。面談となると、以前の会社では徹底的にコケにされたもんだけに、今回の面談の気分の良さと言ったら。
2005年3月3日(木曜日)
セイケンの結果が返ってきた。全くの正常ではなかったが、最悪の結果どころかずいぶんマシな結果で、安心した。それにしても定型から外れているような不思議な結果だ。あちらさんも不思議な結果だと思ったのではないか? ともかくここ最近の激やせと各種対応策の効果か?
2005年3月2日(水曜日)
ジムに行く。体重が少しずつ戻りつつあるようだ。ところで有酸素は軽視から、やや重視体制へ変更した。筋トレは前回同様ワンランクダウン状態だが、実は丁度いい負荷っぽい。前回まではあまりにも苦行に疲労困憊しすぎていたからだ。
2005年2月28日(月曜日)
地方税を転職後払った影響で、確定申告に行く。
セイケンに行く。3本は嫌なもんがあった。実際かなり苦手だ。さて結果が待ち遠しくも不安でもあるが?
一年ぶりくらい久々に米を2キロだが購入し炊いた。私は断然あきたこまち派である。相も変わらずマイナー指向なやっちゃという突っ込みが来そうだが。
2005年2月27日(日曜日)
三週間ぶりにジムに行った。弱っていたこともあるが、体重が最盛期の4キロ減だった。だからトレーニングのウエイトはワンランク落としたわけだが、それは比較的楽に出来た。つまり筋力的にはそこまで落ちていないらしい。
2005年2月23日(水曜日)
後日記入のため、この日付に書く意味はまったくないが、実は通販で寒天一キロを手に入れている。食が細っているので、健康対策にお茶とか紅茶とかコーヒーに入れて飲んでいる。
また厳密にはこの日だった日は忘れたが、ポットを購入した。前任者は7年間の激務でかなり疲弊していたからだ。新ポットは当然のようにナショナルを忌避したのは言うまでもない。
2005年2月22日(火曜日)
相好が恐ろしく変わるまでに頬が痩けてしまった。というのも39.4度まで記録する体調不良のせいで、先週はほとんど死んでいたからだ。医者からもらった薬を飲むと7時間近くの永続性でもって、平熱咳も治るが、薬が切れると全く症状が飲む前と変わらずだから、タチが悪いとしかいいようがなかった。単なる解熱と咳止めが効いていただけなのか?
結局薬は治っているかどうか不明にもほどがあるので、途中で止めた。実は体温上昇は著しいが、しんどさはそれほどでもなかったからだ。ともかく治ったものの、懸念は尽きる所はないのが、いやはやと言えるだろう。
さてそんなこんなではあるが、ベトナム旅行の記録なども含め、先々週の日記を今から記述していくことにしよう。
2005年2月12日(土曜日)
<2/22以降記述シリーズ。というかとっくに3月です>
いよいよ最終日、前日の夜に一緒に行動する2人と打ち合わせをする。その結果が完全自由散策だ。しかしこれが些か失敗だったのはこの日に判明する。まず徒歩で1キロ程度の距離にある観光地である統一会堂に向かうつもりだった。それが私が道を大間違いした結果、大変な遠回りになった挙げ句にタイムリミットで断念せざるを得なかったのは痛恨の極みと言えるだろう。結局、戦争証跡博物館の方が近くて分かりやすい場所にて迷いついていたので、こちらには予定通り入場。ベトナム戦争時の悲惨なものを含む写真などの展示で、7割方が日本語説明対応だった(ベトナム語と英語は100%、中国語が半分くらいだったか?)。ところで当時の各国に於ける戦争反対キャンペーンの資料展示もあったが、日本のものもあったので一安心だった。もっとも日本共産党のものだけだったが・・・。
で、この日の観光はこれ一つ。既に昼近くになっていたので、買い物計画に移る必要が生じていた。が、計画していた観光物品の国営百貨店が何とテトの影響でお休み中だったのだ。昨日のガイドさんが奨めていただけに、これには焦ってしまった。しかもガイドブックに載っていたベトナムコーヒー有名店も跡形もなく、一帯が工事中になってしまっていた。これはピンチだ。どうする。仕方がないので、適当にドンコイ通り周辺の観光用物品店で買い物だ。と適当にねらい所を探して購入。怪しい英語どおしの謎のコミュニケーション。で、しばらく後に昼飯タイム。
昼飯は観光客用のファミレスっぽいところ。実際西洋人や日本人っぽいのが店内にいた。で、そこで私はアップルジュースやら2杯のフルーツジュースを頼んだが、それが日本で馴染みの味とは全く別物なのだ。食物はステーキとアスパラスープ。この肉は別段特筆すべきところもないが、スープはなかなか独特の味で美味しかった。笑い話その1として、このスープが来るのが些か遅かったものだから、私はウェイトレス嬢にヘボな英語で抗議をしてみた。すると返ってきたのが、にこやかな笑顔でクッキング。私は焦って、にこやかにソーリであった。笑い話その2、連れAが連れBが注文済みのものと一緒のものを注文しようとした。日本語メインの謎の英単語とジャスチャーだ。すると、共有と勘違いされてしまったらしく1セットしかその飯は届かなかった。その後、何とかもう1セット注文に成功したので良かったが。
昼飯後、徒歩5分圏内の一旦ホテルに帰還。その後、再出発。ここまで書いて思いだした。前半を書き足すのも面倒なので、何事もなかったかのようにここに記す。この日の朝は、昨日のガイドさんが奨めた店で、ベトナム名物フォーを食べたことだ。実は前日の夜11時頃に行ったのだが、フィニッシュと言われ追い返されてしまっていた。ガイド本は0時までオープンなのに嘆かわしいことである。幸い朝早くには空いていたので、店のカウンターで牛肉のどっかの部位(忘れた)入りのフォーを食す。例えるならばそうめんを彷彿させるような食感で、非常に美味だった。ちなみに薬味の香草もついてきたので、些かの怪しさも感じつつも食中毒を恐れず当然入れてみた。これは物慣れない味だった。
さて、話を昼飯後の再出発に戻そう。その後連れAは一人で観光に旅立った。後で聞いた所では詐欺に遭うこともなくタクシーで2つの観光地を回ったとのことだ。(前日シクロに乗った別の人がボッタくられたという話を聞いた)統一会堂の評判が高かったのが、これまた行けずに残念だった。で、連れBと私は買い物の続きを行う。土産がまだ半分にも満たないのだ。で、ターゲットにしていたガイド本の有名店で、首尾良く購入。その後連れBはホテルに帰った(按摩のため)ので、私は単独で買い物を続ける。が、その前にすぐ近くのグエンフエ書店に寄ってみた。ベトナム語だらけで意味不明である。というか、さすがにベトナム人しかいない様子だ。うろちょろしてみると、推理コーナーっぽいのがあったので、20000ベトナムドンで謎のホームズ漫画を購入してみた。もしかしたら翻訳本? とも思ったが、その手の記述が見当たらない。もっとも読めないだけかもしれないが。で、なぜか中のページが汚れている部分が・・・
で、その後、最後の購入を果たし、ホテルに帰還したのだった。この日の使用金額は150万ベトナムドンなり(笑)。
この後は有夕飯を再び皆で食すことになって、近くのレストランで最後のベトナム飯などを食べて、蟹や海老などの美味を頂いて、おしまい。最後は予定が押して焦った空港あぶな〜、という妙技付きだった。
ついでに記す後日談。次の日は異常に怠かった。しかもショッキングな結果を示す封筒。そして疲れと思っていたのが間違いだったことに至ったのは月曜の昼以降のことだった。月曜の朝の異常体調と言ったら尋常ではなかった。無理やり会社行ったのも間違いだった。が、火曜日行った病院では元気すぎて奇妙だったのに、その後は散々だった。なんだあの奇怪なめりはりある高熱は。腹は平気過ぎだったのが謎だ。おしまい。
2005年2月11日(金曜日)
<2/22以降記述シリーズ>
前日に記述すべきだっただろうか、NHKが映るわけだが、その海外渡航情報でメコン川で詐欺発生。500ドル搾取されるというニュースがあった。本日の目的地の一つだ。そのようにいきなり突っ込み所が多かったわけだ。
本日はオプショナルツアーその1で、クチ・トンネルとメコン川。ガイド氏は数年前まで静岡県に留学していたという女の人だった。今思えばガイドとしては勘違いも混じっていたが、最高であり、最後にチップを出しておけば良かったとかなり後悔してたりする。
クチ・トンネルのある場所はホーチミン市外の郊外の田舎なので、車で行ったわけだが、その運転の荒さは慣れるまでは命が縮まる思いであった。滅茶苦茶狭いスペースをクラクション鳴らしまくりながら、追い抜いていく。郊外でも大量にいるバイクもクラクションで蹴散らす。道が狭くなってもニアミスで追い抜きまくりだ。恐るべき交通事情である。ガイド氏はこれも文化の差だと言っていたが、驚くべきことだった。ちなみにバイクはノーヘルメットが大半なわけだが、ホーチミン市内ではヘルメット着用義務はないらしく、郊外ではあるらしい。でもあまり守られていない現状らしい。実際そうだった。何でもヘルメットの精度が悪いらしく、逆に着用すると運転が危険らしい。ガイド氏曰くだ。このガイド氏、共産党一等主義に対して批判的意見を言ったり、警察の賄賂についていったり、このベトナムの意外な自由さを色々示してくれた。
さて、クチ・トンネルだ。日本人環境客も多いようで、普通にパンフレットが日本語版である。クチトンネル説明ビデオも日本語版だった。たぶん英語版や中国語版の説明ビデオコーナーもあるのだろうと思われる。
かつて詳しい説明は省くがベトナム戦争でゲリラ戦を演じた場所であり、そのトンネルを実際に潜ったが非常に狭く、やせ型の私が中腰で辛うじて通れるレベル。連れの背は高くないが体格のいい奴は膝を付かざるを得なかったらしい。この辺りが米兵の容易な侵入だけを拒む戦略上の巧みなトンネルになったとのことだった。またトンネルの入り口は絶妙に隠されていて、その経由で病院や食堂なども配置していた。
そこで食したという芋も食した。茹でた芋で味がなく美味くはないが、二きれ食っておいた。ガイドが奨めるんだもん。
予定外だったが、1発が約1ドルのライフル掃射コーナーがあったので、5発だけ体験。ただよくわからんうちに撃ち終わってしまった。
昼からはメコン川クルーズだが、その前に観光客専用っぽいレストランで昼食だった。例の如くご飯には鍋とセットである。具はよくわからない揚げ春巻きも、パリパリの皮に丸ごと揚げ魚をほぐして挟む料理も美味だった。ベトナムの飯は基本的に美味いらしい。デザートはすいかだった。温かった(笑)。
メコン川にはクチから2時間以上かかった。この日の自動車乗車時間は飛行機片道分を超えているかもしれない。メコン川までボートに載る。そこでココナッツをストローを飲む。温いが美味だ。そしてメコンデルタの島に上陸。木々の間を抜けていって、熱烈な南国フルーツの歓迎(ツアー料に込むようで無料)。正直昼飯後で腹一杯でのため苦しかったが、あまりに奨めるもんだから、いくつか食べる。現地のおっさんの楽器演奏や子供達の歌唱もあった。見た感じここの人達はとても優しそうな印象を受けた。
その後、柳川川下りのような感じで、ジャングルの中を小舟で小川下り。落ちたら悲惨だろうなと思いつつも、束の間の10分ほどを満喫。
ホテルに戻り、オプショナルツアー第1弾はこれで終了。夕方から第二弾が始まる。それは簡単に記すが、4名で参加。ガイドは味も少なく日本語もとても下手な人だった。ホーチミンの瀟洒な建造物である中央郵便局などを見た後、サイゴン川の船上レストランで夕食。飯はさすがにパターン的に飽きてきたものだった(笑)。色々とショーなどもしていたが、すぐ横のキチガイ日本人おっさん客のせいで非常に不愉快だった。腐った金持ちと図々しい態度の図・・・、醜かった。外国人も奇異の視線を向けるなどまさに日本の恥である。
2005年2月10日(木曜日)
<2/22記述シリーズ>
入社後初の会社旅行だ。前回の会社の二年前はSARSでシンガポール旅行が潰れたのが色々な面で思い出される。
朝6時に起床して、3月並の軽装で南海急行で突っ立ちながら初の関空へ。そして5時間のフライトの後、ホーチミン市へ。
なんと着陸寸前に航空機内で発表された気温というのが34度。hotel到着後に早々と着替えたのは言うまでもない。あと部屋は誰もが一人でツイン部屋占領。どうなってんだ、この旅行は? それともさすがは正月テト。絶対客数が少なかったからなのか?
この日は市内でメシを共同で食べるなどだったのだが、後で何度も経験したせいで知ったことだが、ベトナムというのは、ご飯に鍋物の具からスープからぶっかけて食べるのがデフォルトのようだ。でもこれが美味しい。日本で言うと、おじやとか猫まんまとか雑炊とかオートミールみたいなものか。あと飯と言えば、おしぼりなわけだが、これがとっても匂おう。香水のような強烈な匂いなのだ。また手渡しではなくトング(※)渡しだった。こういうところにも文化の違いを感じた。
※パン屋でパンを挟むやつ。実は呼称がわからずわざわざ調べた。案の定聞き覚えのない単語だった
その後、4人でホテルまで歩いて帰ることになったのだが、この日はバイクが夜まで暴走中。正月中日だからか、その一角のバイクの量が尋常ではない。ガイド曰く正月はバイクが少ないそうだが、たぶんそれは日中の話だったのだろう? で、難関がやってくる。道路の横断だ。横断歩道の跡がうっすらと見えるが、全く機能していない。信号ももちろんなかった。大通りではない普通の街路なのだ。バイクはひっきりなしにやってくる。も別段減速もすることなく、そのほんの先の交差点でも戦場さながらにすごいことになっているが、上手くいくようになっているらしい。で、道路横断である。バイクはそれなりのスピードでひっきりなしに左右からやって来る。車も稀にやって来る。最初見たときは渡れるとは思えなかった。しかし我々は学習する機会を得た。反対側から横断する人がいたのだ。で、それに倣って暫く考えたあと、私は決意した。他の人も付いてきた。まずタイミングを計って道路の端を占領し、その後は突っ込んでくるバイクとアイコンタクトを取りタイミングを取りながら、一歩ずつゆっくりと前進する。そして道路中央近くに来たら、反対方向にも注意を払いつつ前進。この時が一番危険かもしれない。また間違ってもアイコンタクト無しで不定速度で横断しては駄目だ。それをすると、大事故になるだろう。何はともあれ横断完了、まさにスリルがあって、病み付きになりそうな面白さだった。
ホテル帰還後、再度三人で町へ。なにやらすごい人間の数で祭をやっていた。事実上の歩行者天国らしくバイクも路上駐車されているのみだ。もう22時過ぎなのに、小さい子ども連れも多かった。残念ながら少額ベトナムドンは全く持っていなかったので、多少の見物のみでこの日は終了した。
追記までに、歩道に花の姿も。さすがに事故も少なくないのだろう。
この旅行通じてだが、物売りなどの子どもが多数寄ってきた。そのしつこさは冷酷にはっきり断るジャスチャーをしなければふりほどくことは出来ない。
足のない男が現れた。自身の境遇を示して、お金をほしがってきた。これも可哀想だが、スルー。
2005年2月6日(日曜日)
とりあえず体調は回復したようだ。昨日あたりから治った。仕事だったけど。
松下許せまじと考えている人は多いようで、専門家のこのプログとたぶん一般人のこのブログも参考になる。ソフト開発者としてはこの松下の横暴と担当裁判官には怒りを覚えるしかない。早々と謝らない限り。二度と松下製品は買わない。ジャスト製品は、去年買ったのでさすがに一太郎2005を買うかどうかは迷いどころだが、当初の予定どおり一太郎 For Linuxを購入し、ついでにAtok用のお役立ちツール関連やその他適当に購入することにする。
2005年2月3日(木曜日)
まさかこの年でバリウム飲む羽目になるとは夢想だにしなかった。なんなんだこの健康診断は。それにしてもバリウムと下剤で最悪の体調になった。午後からの仕事は地獄でかつ、なぜか予定が崩壊して、23時近くまで。
2005年2月2日(水曜日)
風邪も治ったと思ったが、ここ数日の異常な寒さで、ぶり返してきた。咳がヤバイ。結核ちゃなかろうか? とお馬鹿なまでの不安症。まぁ、明日は健康診断。悪い病魔があれば、結果に出るだろう。
ところでわが大東市、YAHOO天気予報の今日の気温だが -6 -6 -6 -4 0 -1 -1 -3 (0時から3時間刻み)というわけのわからん数値をたたき出している。大阪市内より6度以上に低いのはなんのこっちゃだ。ちなみに3日も-4 -5 -3 -2 0 2 0 0のような数字。
私はつい先日まで松下電器のファンだった。家電購入時ではダントツに第1候補になると言っても過言ではなかった。先日ヘッドホンを買ったときも最初から松下電器だけしか買う気がなかった。が、それももうお終いになりそうだ。むしろアンチに転ずる可能性すら高い。万が一にもジャストシステムが潰れるようなことがあれば、私は一生松下電器を許さないし、その商品を毛嫌いすることだろう。まず買うことはない。この点だけは間違いない。松下電器よ、ただでさえ業績苦しんでいる国内ソフト企業を、ごく些細で不明瞭なことで訴えてくれるな! おまえらは所詮マイクロソフトとか超大手にとっては犬だったのか。マジでむかついた。
2005年1月31日(月曜日)
今日唐突な面接で来期の方針がほぼ決まってしまったわけなんだが、会社員と言うのは多かれ少なかれってことなんだろう。まぁ、この時期だから仕方ないけど。それとは関係なくベトナム旅行の行き先がハノイとばかりに思いこんでいたが、なんとホーチミンだった。全然ちゃうやんと思ってしまった。まぁ、あホーチミンの方が都会だけど・・・。
2005年1月29日(土曜日)
いよいよぶっ倒れる寸前だった昨日、終電近くまで働いて、今日が休みになって、とりあえず爆睡。一汁寝ていたと行っても過言ではない。今月はかなりしんどい月だった。この会社でもっともしんどい月だった。
2005年1月23日(日曜日)
先週は土曜日まで非常に忙しかったため、宅配を受ける暇がなかった。やっとiPodを手にすることが出来た。素晴らしい。しばらく弄り倒してみよう。ちなみにヨドバシには普通に大量に売ってた(笑)。
ところでCD-Rの話題の続きだが、やはり実は昔の貰い物だが、誘電以外の手持ちのCD-Rの中には読めなくなっているものがあった。もっとも古い某シングルCDに至っては全く駄目になっていたが・・・。
で、先週からの風邪が全く治らない。咳と喉の痛みだ。市販の風邪薬が気休め程度にすら効かないのだ。
2005年1月21日(金曜日)
正々堂々横断歩道を渡る。この言葉のどこがおかしいだろうか? そもそも正々堂々という単語を、日常で聞いたことはおろか、テレビでさえも聞いた覚えがないという。私はおかしい扱いまでされてしまった。逆ではないかと突っ込んだのだが、さて?
2005年1月16日(日曜日)
で、林檎サイトで結局注文。林檎サイトなら即入荷だったのにつられた。しかし今月は出費が明らかに多すぎる。旅行までしばらく節約しなくては。
全く脈絡がないが、DVD−Rをこの間、初めて使ってみた。昨年ドライブを購入したはいいが、RAMを多少使用しただけで、Rは使用していないのだった。4.7GBはさすがと言うべきか、とりあえずバックアップ用途に使用。ついでにCD−R、私は相変わらず基本的に太陽誘電製しか使用しない。買わない。2割高くても誘電だ。CD-ROM4倍速のPC-9821でも確実に読める上に、長期保存の信頼性が高いから。いまぁ、バックアップに使ってる以上は信用度優先ですな。実はMOもだが、CDというものはあまり寿命が長くない。
2005年1月15日(土曜日)
雨の一日。あの懐かしの遊歩道を半年以上ぶりに通って、古巣ビルが会場の古書即売会に行ったが収穫全くなし。と言うかありえない高さには閉口してしまった。
体重55キロ平均はもう安定したようだ。見た目は変わらず相変わらずヤセをネタにされるわけだが、実際には大学時代に比べ3キロ以上アップしていることになる。シャツなどに圧迫感を感じるようになるわけだ。昔に短く切ったベルトももはや使い物にならなくなりつつある。
ipodが無性に欲しいここ最近。売り切れているので店先で購入は出来ないが、予約をするべきか。また林檎と言えばminiが出たわけだが、これも欲しい。
2005年1月13日(木曜日)
寝過ごしたので慌てていたら、顎をざっくりやってしまい、血が止まらない・・・。最悪のスタートだった。
2005年1月9日(日曜日)
担々麺が美味い季節だ。
2005年1月7日(金曜日)
恐れていたことが現実となり、三連休が仕事で死んで、一休になった・・・。
2005年1月6日(木曜日)
早速忙しいわけで、次の三連休も思いっきり悲惨なことになりそうな案配だ。。。
2005年1月5日(水曜日)
休み明けだからか、とても怠かったのがいけない。
ところで2005年までやって来てしまった。未来だね〜、とつくづく思うのは私だけなのだろうか。日付を書くときは馴染まないがそのうち慣れるのだろうが。
昔のちゃらんぽらん日記録
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